言葉の先には、必ず人がいる

Posted by IHayato
Feb 08 2010

断片的に、考えさせられる言葉と出会ったので、立ち止まって考えます。

@shungoaraiさんのツイート

ソーシャルメディアにおいては、ある言説がcopyされ、quoteされて伝播していくわけだけれど、そこに関わる個々人はcopyやquoteの際に、まずその言説の伝播に主体的に関与してしまっていることに意識的であるべきだ。

イケダノリユキさんのブログより

Web2.0は主にWebテクノロジーやプラットフォームのパラダイムシフトを説いていましたが、「ソーシャル化」というのは、人と人、人と人の感情や情報が紡がれていくことで、新たな発見や気づき、共感・共振が生まれ、さらに良い人間関係や豊かな社会をつくっていく人間2.0なんだと思います。


ソーシャルメディアの台頭で、個人の影響力が高まっています。「個」の力の増大は、様々な分野に影響を与えており、ビジネスは勿論、社会貢献のあり方、個人の生き方まで変えつつあると感じています。

そうした時代に、“力を持ってしまった「個」”にはある程度の自制が求められると考えます。従来、記者や編集者と言った職業に求められていた慎重さが、個人にも求められてくるのです。
例えば、個人としての見解をオープンにすることで、誰かに経済的な不利益を与える可能性もあるでしょうし、間違った言説を広めてしまう可能性も当然あります。
また、発信した言葉が誰かを感情的に傷つけてしまうことも考えられます。強い言葉は、想定するターゲットには良く響くかもしれない一方で、特定の人にとっては強くネガティブに感じられる場合もありそうです。

僕は2000人以上の方々にフォローしていただいており、少なからず影響力を持ってしまっています。これまでそうした点はあまり考えずに言説を流布していたので、端的に言えば、もう少し慎重になりたいと思います。今はまだ慎重になる、というと行動しか起こせませんが、今後は何かそれ以上の価値につなげたいと思います。


「発信した言葉の先には、必ず人がいる」ということを、頭では分かっていても、どうして中々、実行するのは難しいです。

One Response

  1. [...] 「言葉の先には、必ず人がいる」という記事を以前書きましたが、嫌な話ですが、健全なソーシャルメディアの浸透を実現するためには、ある程度ユーザーの自制が求められてくるのかも知れません。では実際に、というと難しいですが…。 [...]

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