賛否両論?イケダハヤトが物申す

ノマド論争で見過ごされている3つの論点

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あるメディアで記事を書くため、現在ノマド論争についてまとめています。リサーチの中で見過ごされがちだなと感じた論点を3つほど提示したいと思います。


会社の「オワコン化」

オワコンというとやや刺激的ですが、仕事をする上で「会社」である必然性が無くなりつつあることは重要なトレンドです。


・終身雇用は崩壊し、年金という社会保障も期待できず、セーフティネットとしての「会社」は機能を失いつつあります。

・神田氏は「2022―これから10年、活躍できる人の条件」の中で、会社というスタイルでは加速するビジネスに付いていけない、という主張を展開されています(本の中では「会社は無くなる」とまで書かれています)。

・場所と時間に縛られるワークスタイルの「会社」は、間違いなくオワコンとなっていくでしょう。10年後にはどでかい本社ビルとかナンセンスになっていると思います。

・組織の中の人材だけで仕事を行う必然性も無くなりつつあります。この点に関しては、P&Gの「コネクト+デベロップ」のように、社外の知識を積極的に取り入れ、イノベーションを実現しようという動きも出ています。

・ソーシャルメディアによって外部の力を借りることが容易になったのも重要な転換点でしょう。シャーリーン・リーは「オープンリーダーシップ」という言葉のもと、これからの会社は外部のリソースも活用できるオープンな体制を持つ必要がある、と語っています。NPOの分野ではベス・カンターも「Networked Nonprofit」の中で同様の主張をしていますね。


ざらざらと書いてしまいましたが、終身雇用、社会保障、大オフィス、満員電車、年功序列、社外秘文化などなど、様々な観点で旧来的な意味での「会社」がオワコン化しているのは、ノマド論争で見過ごされがちなポイントだと思います。

ノマド云々を語る上では「これからの会社のあり方」を議論するのが、生産的だと僕は考えます。会社という言葉は「学校」のようなものですから、あり方を変えれば素晴らしい価値を持ち得ます。色々な学校があるように、色々な会社があってしかるべきです。

それこそ「Networked Nonprofit」の中には、ノマド的な外部人材(フリーエージェント)をいかに組織の中に取り込むか、という観点で論旨が展開されています。ノマド論争を追っていて、こういう議論をもっとしていくべきだと感じました。


グローバリゼーションによる人材のコモディティ化

跡部さんが既に提示していますが、この点も見過ごされがちです。

会社員でもフリーでも、現代の日本で働く人にとって、共通の不安があるからこそ、「ノマド」議論がより攻撃的なやりとりになってしまっています。ノマドが議論の焦点になるべきではないのです。共通の不安への対応策が議論の焦点になるべきです。

その共通の不安とは何か?

新興国から押し寄せるコモディティ化した仕事を低単価で担う労働力です。

ノマド論に対して、会社員とフリーが対立することの不毛さ。

多くの人がノマドを志向する背景には、「このままではまずい」という危機感があると考えられます。少なくとも僕はフリーランスになる決断をするにあたり、コモディティ化を恐れる気持ちがありました。

まさに跡部さんの議論をなぞるようですが、フリーランス(ノマド・会社否定) vs 会社員という対立軸はナンセンスで、本来は、新興国の人材 vs 先進国に生きる我々という軸を見るべきだと思います。

セス・ゴーディンが「Linchpin」で書いているように、先進国の人材は「代替不可能」な存在になる必要があります(彼はビジネスパーソンは「アーティスト」のようになる必要がある、と書いています)。替えが効く歯車ではいけないわけです。

ノマド云々を喧々諤々するよりは、代替不可能な人材になるためには?というテーマを考える方がずいぶん生産的です。


「競争社会弱者」とノマド

厳しい競争社会で戦ってる優秀な人達から見たら、「いまだ何者にもなっていない人」たちのノマドへの憧れは、「負け犬の遠吠え」や、「事実をかっこいい言葉でごまかしてる」ように甘っちょろく見えるのかもしれない。

でも世の中そんな「勝てる人」ばかりではないのだ。受験、就職、出世、じつは敗者ばかりだ。

(中略)

病気、障害、育児、介護、それらが原因でフルに働けなくて、競争社会に戻る場所がない人、または年齢でもう一般的な求人から弾かれてしまう人、など。

(中略)

競争社会でフルに働けない「競争社会弱者」がノマドとして生きていくのにはどうしたらいいのだろう?

ノマドと弱者と共生社会について考えてみる。

ノマドという言葉は「競争社会における強者」に紐付けられがちですが、この言葉を「競争社会弱者」という観点から照らし出す試みも大変価値があります。

上で引用したルッカ*ルシカブログでは、非電化工房の藤村さんが唱える「共生社会」という概念を援用し、ノマドという言葉が別の切り口から捉えられています。

「競争社会でフルに働けない「競争社会弱者」がノマドとして生きていくのにはどうしたらいいのだろう?」という問いに「甘え」というレッテルを貼ることは超簡単です。

が、僕はこの問いに真剣に向き合うことこそ、多くの人が幸せに働ける社会を作るために必要なことだと考えます。働く環境だけでなく、僕たちの意識の改革までも迫られる、重要な問いです。この問いを前に、ノマドという潮流は「社会的包摂」とも接続していきます。


以上の3つ、

・「会社」のオワコン化
・グローバリゼーションによる人材のコモディティ化
・競争社会弱者とノマド(と社会的包摂)

これらがノマド論争より生産的にする切り口だと考えます。


それぞれ対応する問いは、


・これからの社会に適した会社のあり方とは?
・代替不可能な人材になるためには?
・競争社会でフルに働けない「競争社会弱者」がノマドとして生きていくためには?

というものになるでしょう。


皆さんはこれらの問いについてどう考えますか?また、どのような問いが他にあると考えますか?ぜひ下記コメント欄やフェイスブック、ツイッターでシェアしてみてください。



今日は参考文献がいっぱいです。どれもおすすめの本なのでぜひ手に取ってみてください。特に「弱者の居場所がない社会――貧困・格差と社会的包摂 」は、議論が一歩違う文脈に繫がるのでおすすめです(書評)。

The Networked Nonprofit: Connecting with Social Media to Drive Change
0470547979


photo credit: Jerrycharlotte via photo pin cc


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