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岡南「天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル」

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これはすごい本です。人間の認識について深く考えさせられる一冊。論考や紹介は別途記事にするとして、ひとまず読書メモをご共有。


天才と発達障害

・私が主に思考に使っているのは、言語ではなく映像です。映像で思考しているのです。言語で思考している人のことを「言語思考」ということと同様、私はぜひ映像で思考している人のことを「映像思考」と呼びたいと考えています。

・この映像思考とは、映像記憶をもとに行うもので、視覚に重きを置いた視覚優位の際立った認知特徴を言います。反対に言語思考とは、言語記憶をもとに行うもので、聴覚に重きを置いた聴覚優位の際立った認知特徴を持っていると、考えられます。

・発達障害の徳にアスペルガー症候群と言われる人の中には、この認知の偏る人、つまりは感覚が鋭いか反対に鈍麻している人は多くいますが、実は一般の人にも大なり小なり、認知の偏りが見られます。そして案外その認知の偏りを生かし、職業にも、さらには才能にもしています。

・自身の頭のなかの映像を使って思考する人たちは、ものの名前を覚えることなく、脳裏に映像を描いて考えます。その反対に多くのみなさんは、言葉を聴覚で聞き覚え、理解し、知識として積み重ね、思考していると思います。

・視覚優位が際立つ場合には、聴覚の不全が、そして聴覚優位が際立つ場合には視覚の不全がともなっています。つまり後述する映像思考のアントニオ・ガウディには聴覚の不全があり、聴覚優位のルイス・キャロルには、視覚の不全が見られるのです。

・視覚優位とは反対に、聴覚優位の人は、空間認知が苦手ですが、踏襲性を必要とする学習や語学などは、聴覚からの記憶のよさが手伝いたいへん優れています。(中略)聴覚優位の人は、聴覚や言語からの情報をもとに、いっぺんにではなく時間を追い、順番に段階を追って理解することが得意で、言語的な手がかりを用います。部分から全体に理解を進める「経時処理
」を得意とします。よって、論理的な思考と言えるでしょう。

・映像思考の空間認知に優れた才能を持つ人々が、時として学習障害の主訴であるディスレクシアと、記憶に問題を示すことは、最近の医療界と教育界でも常識となりつつあります。

・ダーウィンには、ディスレクシアもありましたし、またそれが二人の子どもにも遺伝をしています。

・ディスレクシアの人の場合、きわめて基本的なことでありながら、大人になっても綴りと読みの問題を、修正できないことがあります。その例としてダーウィンも時には「母」motherを見ながらmoether(モーザー)と、英語にはない単語の発音をしてしまうこともありました。

・おそらくガウディの場合、他の書字の曖昧さや言語表現の少なさ、後述する全体優位性や色優位性などを考慮したとき、軽い読字障害、書字障害、のいずれかのタイプのディスレクシアああったであろうことが推察できるのです。

・ガウディが軽い読み書きの問題を抱えていただろうことと、類いまれな設計の才能について、能力の凹凸ととらえることができます。この能力の凹凸は平均的な子どもたちの教育を目指してきた日本にはない概念ですが、アメリカの才能教育で言われるところの「2E児」という範疇に入るものと考えることができます。「2E児」とは、才能とディスレクシアなどの学習障害を併せ持った二重に例外的な子どもたちという意味です。才能というとすべてにおいて高い能力を発揮できる優秀な人というイメージがありますが、アメリカではすでに、二十二例外的な子どもが「2E児」と言われ、実は支援の対象になっています。

・視覚優位の人の特質は、目で見た段階で、瞬時にその制作方法を自分なりに理解してしまえるところがあります。これは関係性を自分で探る能力があるからです。ですから継次処理を得意とする人に対するように、いちいち細かいところを言語で指示されるというのは、自分がそこまで言われないと理解できない認知度の低い人間として扱われていると感じ、非常に不愉快になるのです。

・実は映像思考の特に強い人たちには、言葉ではなく文字でもなく、独特のコミュニケーションの方法があるのです。映像思考同士の親子の場合には、相手の映像にイメージしたものが直接映し出されてしまうことがあるのです。このことを私たちは「ダイレクトコミュニケーション」と表現しています。

・映像思考の強い親子の場合では、こんな例が見られます。母親が子どもに「今日の夕食、何食べたい?」と聞くと、すぐに母親の映像には、白い深皿にもられた熱々のカレーの映像が映ったというのです。その子どもは「黄色くて、トロトロしたの」と言葉で答えたのですが、母親の映像には、子どもが言葉を発するより早く、白い深皿にもられた熱々のカレーが映っていたというのです。

・映像思考の強い母子では、このようなコミュニケーションができる場合があり、家庭内のことでは全く困らないのに、小学校に入ると「学習障害」的なことを言われ、子どもの実際の理解力と言語能力のギャップにショックを受ける保護者がいます。

・映像思考の人にとり、将来怒ることや周囲の状況が具体的に予見できないことが、不安につながりますから、事前にイメージができるような情報を必要とします。映像思考の強い人はこのような理由で、よほどのことがない限り新たな場所へ行こうと思わないことも多く、住居の移転を嫌う傾向があります。

・聴覚優位の際立つ人の中には、規則を守ることが得意という人が多くいるように思われます。たとえば健康のために毎日三十種類の栄養をとることがいいとテレビなどで言われ出すと、たいへん素直に何の疑いもなく、日々そのことを規則のように気をつけ、家族にも友人にも勧めるのですが、そこにはその人の根拠たるものがなく、まるで規則を守ることが目的のようになってしまう場合があります。

・キャロルにはいくつものこだわりがあります。数字そのものにこだわるアスペルガー症候群の人は多いものです。キャロルの場合は特に「42」という数字に愛着を持ち頻繁に使っていたようです。

・キャロルとその姉妹と弟たちに特徴的なことは、キャロルを含め11人のうち、10人に、程度の差こそあれ、吃音障害があったことです。筋肉の問題を含む吃音が、自閉症スペクトラムの一部の人に見られることは知られています。

・聴覚優位の人が書いた文章は、声の表情や会話の内容、そして音や響きにまつわることが豊かに記載されています。それとは反対に色彩について、あるいは人の表情などについての視覚情報は少なくなります。

・映像思考の私が、文章を読むと文章の内容が、そのまま映像になることは戦術しました。たとえばキャロルの「鏡の国のアリス」を読んだ時には、頭のなかの映像に花の形までは描けても、読み進むに連れて擬人化された「花」のおしゃべりは始まれど、色彩の表現がなく。いつまでたっても私の映像の中の花に彩色できず、ストレスが生じてしまいます。

・世の中のものごとは、相関的な関係性の上に成り立っています。頑なに規則や数値にこだわるキャロルの特性は、人の表情を含めた周囲の微妙な変化の蓄積を視覚的に捉えられないがために生じた、いわゆる視覚の不全が、その根底にあったのではないかと考えられるのです。

・これはV4を中心とする視覚領域と顔認知にまつわる扁桃体などの恊働に問題が生じているものと考えられます。V4の不全は同時に色覚をもあいまいにし、さらに視覚世界から微妙な影の存在も取り除き、顔の見分けや同定を一層難しくします。

・人の顔は、視覚的に個人を特定する重要なよりどころです。さらに人の気持ちと言うきわめてデリケートなものが伝わる部分でもあります。この顔が見えないか、もしくは部分だけしか見えないとしたら、どうでしょう。人と人との違いを具体的に意識できない状態が生じます。つまり自分の気持ちと、他の人の気持ちとが違うという前提をつくることができず、常に自分と他人とは同じ気持ちであるという思いのまま、一方的な思い込みや振る舞いとなってしまうわけです。たとえば自分が楽しければ周囲も楽しいだろうという具合で、まさか周囲の人々が立場上、気を遣って合わせている、あるいは遠慮しているなどとは思えないのです。つまり他の人の本音の部分の理解ができないことにもなります。

・顔を認知できないだけではなく、もちろん見えていないのですから記憶もできないのですが、中には目の前の人の顔は認知できても、記憶となると、記憶の中の顔はのっぺらぼうに映っているという人もいます。

・相貌失認の人は、自分から人に声をかけることはまずしませんから、一見引っ込み思案に思われますし、周囲の人は、彼らが相貌失認であることを知りませんから、目が合ってもあちらから挨拶がないと、無視をされたように感じることもあります。また顔を合わせても、顔の表情が緩まず、無表情のままでいることが多いものです。

・相貌失認がある人は、中学校までは名札を手がかりにできるのですが、高校大学となると、そうもいかず友人ができずに、引きこもる場合もあるようです。

・大人同士の関係では、顔から相手のおおよその年齢を想定し、それなりの会話をする必要も時としてありますが、そういったこともむずかしくなります。常にカメラを持ち歩き、同席者と一緒に写真を撮り、後で確認することをしている人もいます。

・社会に出てからは営業的な仕事はむずかしいのですが、たとえば「ようこそ○○へ、……」といったマニュアルに従って決まりきった台詞のような接客は、できることもあるようです。

・パーティーのような多くの人が集まる場所は嫌います。もっとも苦手とすることは、街で向こうから声をかけられることだというのです。

・キャロルの相貌失認は、吃音障害以上に職業の選択にも影響をおよぼしたのではないかとも考えられます。父親と同様、聖職者の牧師になったならば、キャロルは村の牧師館に住まい、村人の相談や教育を担う必要が生じます。相貌失認の人は、不特定多数といった人前での説教はたやすいのですが、村人との一対一での心通うコミュニケーションは、むずかしくなります。そういったこともあり、上級の牧師になるチャンスはありながら、執事という自由な表現ができる身分に留まり、写真の中の奥行きある顔の美しさに魅了され、吃音に悩まされることのない言葉の世界へ、筆を走らせたのではないかと、推測されるのです。

今年読んだ本のなかでもベスト5に入る作品ですね。騙されたと思ってぜひ。世界を見る目が変わります。



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