賛否両論?イケダハヤトが物申す

「理想の男性」「理想の女性」を求めるから、結婚できない

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恋愛論を書いてみます。


「理想の男性」「理想の女性」を求めるから、結婚できない

個人的な持論として、「理想のパートナー」なんてものは求めてはいけない、と考えております。

その理由はシンプルで、ぼくらは「理想のパートナー」なんてものを、誰かと付き合う前に判断することができないからです。


ぼくはうちの妻と大学生の頃に出会い、そのまま5年ほど付き合って、結婚しました。初めての彼女とそのまま結婚したという、今時珍しい?気がするパターンです。

付き合い始めた当時を思い返しても、ぼくは「自分がどのような女性を理想と感じるか」を理解していませんでした。

妻と出会ったときは、「この人は自分の理想に近いかもしれない、だから付き合ってみよう」という打算があったわけではなく、「なんとなく一緒にいて楽しいし、ビビッと来た」から付き合って、今に至るという感じです。


「理想のパートナーを求める」という行為の背景には、「私は自分がどのような人間かを十分に理解しており、どのような人と相性がよいかも十分理解している」という前提があります。

…が、これはどう考えても嘘です。ぼくは未だに自分が何者かがよくわかりませんし、日々、自分が変化していることも実感しています。もしも「理想の異性」を言語化できたとしても、それは一時的なもの、理解の浅いものにしかならないでしょう。

言い換えれば、この人・あの人が「理想のパートナーか否か」ということは、事後的にしか判断できないということです。たとえば、7年ほど一緒にいて、それからはじめて、ぼくは自分の妻は理想の女性だと感じるに至りました。


付き合って日が浅いうち、ましてや「付き合う前」に、「理想のパートナー」なんてものを描くのは、不毛な仕事です。

それはちょうど、就活をしている学生が「理想の仕事」を求める行為に似ています。20そこそこの、自分も他人もよく知らない学生が「私の理想の仕事はこれです!」なんて語るのは、笑い話ですよね。

「自分にとってこの仕事は理想的か否か」もまた、「事後的」にしか判断できません。経験を積むなかで、徐々に方向が変わっていき、事前に予測したものとは大きく違うものを「理想」に取り込むことも大いにあります。ぼく自身も、未だに「理想の仕事」が何なのかはよくわかっていません。とりあえず、やっていて楽しいことを続けているだけです。


「理想のパートナー」なんてものを過度に思い描く人は、それだけ結婚から遠ざかると思われます。だって、そんなものは「幻想」なんですから。

「理想のパートナー」なんてものは、極論、自分が死ぬ瞬間にしか判断できないものです。死の床で「あぁ、この人はやっぱり、自分にとっては理想の異性だったなぁ…ガクッ」と。

生きている以上は、「この人は理想だ!」と思ったとしても、「いや、やっぱり違った!」と、期待が「裏切られる」可能性から逃れられません。


パートナーを見つけるにあたっては、さしずめ「今、この人と一緒にいて楽しいか」という程度の判断軸をもつのが、もっとも賢いと思います。

「この人は、生涯にわたって自分の理想でいてくれるか」なんてことはどう頑張ってわかりませんけど、「今、この人と一緒にいて楽しいか」は、自分を観察すればすぐにわかりますからね。

「今、この人と一緒にいて楽しいか」が死ぬまで続いたとき、ようやく、「彼・彼女こそが理想のパートナーだった」とぼくらは判断できるのです。


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