賛否両論?イケダハヤトが物申す

美達大和「死刑絶対肯定論―無期懲役囚の主張―」

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なんと、これすごい本ですね。無期懲役囚の方が実際に書かれた手記。文章力の高さに驚かされます。読書メモをご共有。


無期懲役囚の主張

・現在、私の服役している施設は、「LB級施設」と呼ばれます。刑期八年以上というロングのL、再犯者又は犯罪傾向の進んでいるものを表すB級のBから、そのように称されています。(中略)LB級施設は全国に五カ所しかありません。服役している受刑者たちの罪は、社会でいい年になった人が「昔は悪くてさ」というような、可愛いレベルのものではありません。

・近年は加害者の人権が過剰に叫ばれていますが、目先の人権ではなく、真の人権というのは、反省させ、矯正し、正しい考え方をもたせて、自らの人生に真摯に取り組ませることではないのかと思います。正常な人の心と生活を、殺人者に取り戻させるように、厳しくしながらも、手を引っ張り、背中を押すことが、人権の尊重ということではないでしょうか。

・現在の無期囚は仮釈放になるまでに、いろいろな不条理に耐え忍び、無事故で生活しても、30年から35年は服役することになります(ごく稀に、27、28年で仮釈放になる場合もあります。2007年度の仮釈放者の平均服役年数は31年10ヶ月、2008年度は28年10ヶ月です)。

・殺人犯たちの多くは、倫理観・道徳というものは持っていません。例えば、人を殺すことは悪か?と訊けば99%の者が悪である、と答えるでしょう。しかし、自身が他者を殺めた事実については、事情が変わります。殺すことは悪である、だが、自分の犯行には理由があり、加えて被害者に非があると平然と言うものが半数以上です。強盗に入った者は口を揃えて、その場に居合わせた被害者に運がなく、素直に金品を渡すことなく、大声で叫んだり、抵抗したり、命令口調で制止したことが悪いと非難します。これが平均的な弁解です。

・受刑者のほとんどは、自己の非を認めるということに過剰ともいえる抵抗を持ち、日常の中でも素直に過ちを認めることはありません。常に自分にとって都合の良い合理化と、他罰意識を働かせています。

・刑務所では、同囚が真面目になろう、反省しよう、更生するんだ、という意志を持つことに対して、自分たちの世界から抜けるのかという見方をするのが一般的です。今から真面目になってどうするんだ、いやなれっこないさ、という言葉とともに非難と嘲笑の入り交じった視線を向けます。

・受刑者の人権を考えてくれる人たちには感謝します。しかし、この人たちは受刑者という種族が、いかに自分の利益しか考えていないか、楽をするために狡猾に振る舞うか、物事を都合よく解釈するか、理解していません。

・彼らが正業に関心を示さない理由があります。「効率」です。つまり、犯罪による時間あたりの収入が、普通に働く同年代の人より高額だということが挙げられます。

・再犯受刑者の思考の中で不思議な点は、これだけ服役を繰り返しているにも拘わらず、最期は社会で迎えられるという幻想を誰もが持っていることです。私に対して「ここから出ないってことは獄死ですよ」と言う彼らは、今のままの生き方でも獄死をしないと本当に考えているのです。彼ら受刑者が忌避する獄死について、じっくり考える機会を作り、今のままならば、運良く刑務所の外で老後を迎えていたとして、どのような最期になるだろうkと、真剣に考えさせることが必要不可欠です。

・他者の死については呆れるくらいに無関心ですが、自己の死については気にするというのが受刑者に多いパターンです。

・出所者の4割弱には、帰る家がありません。各地の保護施設に帰る者もいますが、年間約3万人の出所者に対し、各地の保護施設は103カ所、定員が2310人です。

・新しい受刑者が肩を落として入ってくると、周囲の者から、10年15年はあっという間と笑顔で励まされ、すぐに明るく元気になります。この点については、長期刑受刑者は口を揃えて言います。私の感想もまったく同じであり、本当に自分が服役して20年近くも経ったのだろうかと不思議な気がします。まさかこんなに短く感じるとは夢にも思いませんでした。

・カントは「人倫の形而上学」の中で「もしある者が殺人の罪を犯したならば、彼は死ななくてはならない。この場合には正義を満足させる為に、何らの代償物ものあい」と述べていますが、少なくとも、利得・性欲を目的として、何の過失もない被害者を殺害した場合には、たとえ被害者が一人であっても、加害者の死をもって償うことは重くはありません。

・殺人という行為に対して人は心理的抵抗をもつはずですが、二回目の時は、初めての時に比べ、その抵抗が著しく低くなっていることが、自分でもよくわかりました。

・カントは、「道徳とは共同体的法則を自覚的に実現すること」と言っていますが、若い頃から強制施設に反復して入所している者にとって、そこでの共同体的法則が自らの常識(道徳)になっているのです。

・社会に家族も知人もなく、スキルもキャリアもなく、年齢は70代前後、30年間で溜めた作業報奨金は150万円から200万円、そして何よりも目標に向かって頑張るという情熱が欠けているとしたら、先はどうなるか想像に難くないでyそう。

・(絶対的)終身刑となれば、それこそ外から刺激を与え、反省や改悛の情を促したとしてもまったく反応しないことは明らかです。出所できず、将来がないのに、どうして反省するのか、ということになるでしょう。

・また、人権人権と叫ぶ人たちが、その人権を尊重し、死刑を廃止する前提として終身刑を創設することに、強い欺瞞を感じます。社会復帰の希望がないまま長い間生きるということが、どのようなことかわかっていないのではないでしょうか。(中略)終身刑では、受刑者に「死」と向き合わせることができません。

・反省している者は1、2%というのが、せいぜいです。本当に、みなさんにこの真実を知ってほしいと切実に思っています。

まず、死刑については「冤罪の可能性」を拭えない以上、個人的には反対のスタンスを取っています(「死刑」判決が再審で覆った4つの「冤罪」事件)。

加えて、「無関係の自分が、他人の命を奪っていいかどうかの判断はできない」という理由からも、死刑を積極的に賛成することはできません。加害者と被害者のあり方は相対的なので、ぼく個人として口を出すことに、違和感を覚えてしまうんですよねぇ。

死刑についてはまだ答えが出せていないので、引きつづき考えていきたいと思います。



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