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鷲田清一, 内田 樹「大人のいない国」

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鷲田先生、内田先生という個人的に好きなお二人の対談本。読みやすい良作です。読書メモを残しておきます。


大人とは何か

・最近、政治家が幼稚になったとか、経営者が記者会見に出てきた時の応対が幼稚だ、などと言いますが、皮肉な見方をしたら幼稚な人でも政治や経済を担うことができて、それでも社会が成り立っているなら、それは成熟した社会です。そういう意味では、幼児化というのは成熟の反対というわけではないんですね。(鷲田)

・クレーマーって、堂々と自己主張して一見アクティブに見えるけど、本当はすごく受動的な態度じゃないかなあ。だって責任はとらないわけでしょ。自分はいつも問題が起こっているシステムの外側にいて、「ひどいやないか、なんとかしろよ」と言っている。(鷲田)

・学生の就職活動を見ていても、世の中には自分だけにしかできない「唯一無二の」適職がどこかにある、という幻想を刷り込まれていますね。これは恋愛幻想と同じ構造になっている。仕事をする前に自分の適性や適職なんかわかるはずないのに、そういうものがあらかじめ自分の中に初期設定で組み込まれていると思っている。(内田)

・昔は幼名とか隠居名がありましたね。立場変えるから名前も変えちゃおうみたいなことが頻繁にあったと思うんですよ。そうなると人格じゃなくて機能がその人の名前ですよね。(内田)

・阪大で同僚の平田オリザさんが「ディベートと対話は正反対」と言っておられた。ディベートは話し合う前と後で考えが変わったら負けなんですが、対話は前と後で変わっていなければ意味がない。自分をインボルブしないと意味がないんです。ところが、対話といいながらディベートばかりしている。(鷲田)

・学校に来るクレーマーのうち最悪のパターンは両親が口を揃えて怒鳴り込んでくるタイプだそうです。昔は、父親が学校に怒鳴り込むと、母親がすがりついて止め、母親が激高すると、父親がそんなに熱くなるなよといさめるというふうに、学校のありようについての親たちの考え方の差が抑制的に機能していたけれど、今は両親の価値観が揃ってしまっている。(内田)

・肉親でも知友でもなく、私と意見を共有するわけでもなく、コミュニケーションもおぼつかなく、それどころか私の自己実現を妨害し、私の幸福追求の障害となりかねないこれら「不快な隣人たち」を国民国家のフルメンバーとして受け容れること。それが現代に残された唯一の愛国心のかたちである。(内田)

・<協同>の力を削いでゆくこのプロセスこそ、福祉政策というより大きな<協同>の衣をまとうことでその実「弱い者」をさらに弱体化してゆくプロセスであった。扶養する者—扶養され者、保護する者—保護される者というかたちで、過程や福祉施設や学校を一方的な管理のシステムとして再編成し、「弱い者」を管理される者という受動的な存在へと押し込めることになった。女性も老人も子どもも、その対抗性、破壊性を封印され、「可愛い」存在であることでしか安寧を約束されないという耐性が社会に浸透していった。そうなりたくなければ「がんばれ」、というわけだ。(鷲田)

・傷や病や障害を「欠如」としてとらえるのではなく、それをまず「普通」と考え、そういう<弱さ>のほうから「財と権利と尊厳の分配システムの基本原理の修正(石川准)」を図ることがいま求められているのだろう。(鷲田)

・「人間の弱さは、それを知っている人たちよりは、それを知らない人たちにおいて、ずっとよく現れている(パスカル)」

・歌うことによって、私たちがなにげなく享受している「よきもの」を讃え、その讃えられた等のものがその潜在的な力能を賦活されたとき、その恩沢に浴するというのが「祝」の構造である。「国誉め」は古代中国や万葉集の時代のものではない。「右に見える競馬場 左はビール工場」と歌ったユーミンの『中央フリーウェイ』も、「江ノ島が見えてきた 俺の家も近い」と歌ったサザンの『勝手にシンドバッド』も、その語の語源的な意味における「国誉め」であり、「祝歌」である。(内田)

・すべての言葉はそれを聴く人、読む人がいる。私たちが発語するのは、言葉が受信する人々に受け容れられ、聞き入れられ、できることなら、同意されることを望んでいるからである。だとすれば、そのとき、発信者には受信者に対する「敬意」がなくてはすまされるのではないか。(内田)

・「私は誰がどう思おうと言いたいことを言う。この世界に私の意見に同意する人間が一人もいなくても、私はそれによって少しも傷つかない。私の語ることの真理性は、それに同意する人間が一人もいなくても、少しも揺るがないからである」と主張する人間がいたとする。彼は果たして「言論の自由」を請求するだろうか。私はしないと思う。(内田)

・「言論の自由」は、自分の発する言葉の成否真偽について、その価値と意味について、それが記憶されるべきものか忘却に任されるべきものかどうか吟味し査定するのは私ではなく他者たちであるという約定に同意書名することである。(内田)

・今、結婚に際して多くの若者たちは「価値観が同一であること」を条件に掲げる。二人で愉快に遊び暮らすためにはそれでいいだろう。だが、それは親族の再生産にとっては無用の、ほとんど有害な条件であるということは言っておかなければならない。(中略)「両親が同一の価値観を持つ家庭」というのは、比喩的な言い方を許してもらえれば、「北朝鮮化された家庭」のことである。(内田)

・たぶん機嫌のいい赤ちゃんは、すごくセンサーの感度がいい赤ちゃんで、わが身に起きそうな「いやなこと」についてのアラームが早い段階で鳴動するので、お腹がすいたとか、眠いとか、オムツ換えてとか、服を脱がせてとか、そういうことを母親に早め早めに伝えて、「いやなこと」が起こる前に回避しているんじゃないかな。(内田)

・本来感情というのは非分節的でアナログ的な連続体のはずなんです。それを喜怒哀楽の四つに分けるのだって相当に雑駁なんだと思う。(内田)

・政治家同士の討論を見ていても、理をもって相手を説得して、合意形成できるように引っ張る力をもっている人が一人もいませんね。ほとんどの人は場を制圧しようとすると、まず怒るんです。そのほうがアピールできると思っているから。その場でいちばん猛々しく怒っている人間がそのトピックについてはいちばんはっきりした意見をもっていて、いちばん当事者意識の高い人に違いないというふうにみんな推論するから、だからとりあえずできるだけ大声を出して怒ってみせる。(内田)

・以前、北朝鮮のミサイルが日本の近海に飛んできたとき、参議院の予算委員会で自民党の議員が官房長官に向かって、「こんなことが起きたのに、あなたはなぜ記者会見で激怒しなかったのか」と怒声を上げていたのです。ラジオのニュースを聞きながら驚きました。予算委員会の中継で官房長官に「感情的でなさすぎる」って他の政治家が怒っているんですよ。どう考えても、外交に求められているのは、感情的であるかないかじゃなくて、起きた事件についての情報収集と、適切な対処方法を講じることでしょう。(内田)

・なぜ怒っている人間の言うことをとりあえず聞くかというと、怒っている人間というのは集団にとってのリスク・ファクターだからです。怒り狂って我を忘れている人間というのは、とんでもない行動をする恐れがある。(内田)

ぼくらが「当たり前」だと思っていることを、逆説的かつ論理的に論じてくれる良著。こういうものの考え方ができるようになりたいなぁ。


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