賛否両論?イケダハヤトが物申す

狂った日本の奨学金制度:大学卒業のために「720万円の借金(利子付き)」を背負うのは自己責任?

追記*反響が大きかったので追加で記事を書きました。

 

奨学金問題、最近話題になっていますね。当事者である大学2年生のTさんを取材させていただくことができました。

 

卒業時に720万円の借金

Tさんは現在大学2年生。都内の大学に通っています。奨学金を利用して、毎月12万円の支援を受けています。諸事情で大学に5年間通うことになったので、12万円×12ヶ月×5年で、計720万円の「支援」を受けることのなっています。彼が利用しているのは無利子の奨学金ではないため、この額に利子が加算されることになります。

卒業時に720万円の借金を背負わせるって、クレイジーすぎやしないでしょうか。しかも利子付き。ぼくは幸い親に学費を出してもらいましたが、自分がそういう状況にあると考えると、リアルにゾッとします。

今は社会人5年目ですが、まだ返済終わってないでしょうね…。毎月5万円返しても144ヶ月、つまり12年ですから(実際には利子があるので、これ以上の期間になります)。

 

毎月12万円というと結構な額に聞こえますが、このくらいの額は、学費と生活費ですぐに消えてしまいます。特に苦しいのは、勉強のために本を買ったり、イベントに参加するお金まで制限されてしまうことだ、と漏らします。

「本当は都内のイベントとかに参加したいんですけど、郊外に住んでいるのもあって、交通費とか厳しいんですよ。食費も削りながらギリギリで生活しています」

 

就職に関しても不安があると語ります。話にある通り、奨学金に苦しむ人は、ブラック企業に搾取されやすいのかもしれませんね…。

「ぼくが通っている大学は偏差値がそれほど高くないので、大企業に入ることも難しそうです。会社を選ばなければ就職はできると思いますが、借金があるので、それこそブラック企業でも我慢して働くことになってしまうかもしれません…。将来は途上国関連の仕事をしたいのですが、借金を返すために、選択肢が狭まることが怖いですね」

 

増えつづける借金を考えると、大学を辞めるという選択肢も浮かび上がってきます。

「今、大学を辞めれば借金は200万円以上少なくて済むんです。就職も不安ですし、自分で稼ぐ力を付けて、いっそ大学を辞めてしまうのが合理的なのかもしれない、と思い始めてきました。もちろんせっかく入った大学なので、卒業したいという思いは強いのですが…。」

 

話の中で、彼が「こんなんじゃ少子化は解決できないですよね」と漏らしていたのが、まさに、という感じで印象的です。確かに、借金が720万円ある状態では、結婚をする、子育てをするという発想にはなりにくいでしょう。

 

「奨学金が返せない」のは自己責任なのか?

早速ツイッターでは、「いくらの借金ができるかなどを加味して奨学金は受けるものではないのでしょうか?それをせずに借りたのなら借りた側の責任だと思います」といった主旨のリプライも届いています。

 

これ、どうなんでしょうね。少なくともTさんの場合は、そもそも「借金をしなければ大学に進学できない」という経済状況のようでした。となると、「いくらの借金ができるかなどを加味して奨学金は受けるものではないのでしょうか?」という論理が正しいとしたら、Tさんは大学進学をそもそも諦めざるをえない、という結論になりかねません。

生まれ落ちた家庭の経済環境は選べませんから、人によっては、自己責任ではないのに、教育の道が断たれることになってしまいます。ぼくはたまたま家庭がそれなりに裕福だったから大学に行けましたが、場合によっては行けなかった、ということです。そういう社会は嫌ですけどねぇ。機会の平等というやつです。

 

また、「返せると思って借りたけれど、雇用情勢が悪くて返すのが難しくなった」というケースもあるでしょう。「就職できないお前が悪い!」と自己責任を押しつける向きもあるのでしょうけれど、それは流石に酷だと思います。景気が悪いことまで自己責任にするのは無茶な論理です。

 

NHKの報道によれば現在奨学金の返済を滞納しているのは33万人に上るそうです。長期的には、MOOCのような教育コストを下げるテクノロジーが解決策になるのでしょうけれど、今まさに困っている人に関しては、どのような解決策がありえるのか…話を聞いていて暗鬱な気分になりました。studygiftとかlumniのような、コミュニティ型の支援サービスがうまく補完できればいいですが、これもお金が集まる人とそうでない人の差が出るでしょうしねぇ…。

 

その勉強は「誰のため」?

「奨学金を返せないなんてのは甘えだ!自己責任だ!」という論理の背後にあるのは、「勉強というのは”自分のため”にやるものである」という確信です。

「自分のため」の勉強なんだから、ぼくらの税金を使って、社会としてその費用を負担するということは、おかしい話になるわけです。どなたかが「貧しいからといって誰でも大学教育を受けられるようにするということは、ブサイクだからといって誰でも整形を受けられるようにするようなものだ」というコメントをくださいました。こうした意見は、勉強という行為が、整形になぞらえられるほど「私的」なものとして理解されているからこそ、発せられるものです。

冷静に考えれば、子どもたちが勉強をすることは、彼ら自身の人生を扶けるのみならず、巡り巡ってぼくらの生活に良い影響を与えます。だからこそ、ぼくら人類は税金を使って教育にコストを割いているのです。

頭が良い人が増えれば、社会はその分だけ前進します。整形美人・美男が増えても、社会は前進しません。勉強と整形とでは、それが実施された際の「社会への影響度」が格段に違うということです。

 

奨学金問題を自己責任に帰着させたがる人は、勉強というものを極度に「私的なもの」として捉えているのでしょう。歴史を見れば、それは明確に間違いなんですけどね。スティーブ・ジョブズは自分の勉強の結果を、社会のために役立てているではありませんか。

多くの人に教育を受けてもらうことは、他ならぬぼくら自身のためになります。であるのに、教育を望む若者に700万円近い借金を背負わせるなんてのは、論理的に考えてナンセンス極まりない話です。

自己責任を語る人は、ブラック企業に搾取される若者や、低学歴・低収入の労働者が増えると何かハッピーなことがあるのだろうか、と穿った考え方をしてしまいます。

 

「社会のため」だと自覚すれば、勉強ははかどる

さらに、自分が「自分のため」に勉強しているのではなく、「社会のために」勉強していると考えることは、勉学に励む当事者にとってもプラスの影響を与えるでしょう。

スマナサーラ長老が良いことを仰っているので、引用してご紹介。

授業を受けて、むずかしい勉強を徹夜しながらやることは、自分だけのためだと思ってしまうのは、勘違いです。自分のためだけだと思っているから、嫌になったらやめたくなるのです。人が真面目に勉強するということは、人類に迷惑をかけないということであり、社会に何らかの貢献をすることであり、皆のために生きることでもあるのです。それを理解するならば、むずかしい勉強もやる気が出てきます。

 

「貧乏な家に生まれようがなんだろうが、奨学金を借りるのは自己責任だ!」と叫ぶ人が増えれば増えるほど、勉強というのは私的なものになっていき、当の学生たちは「自分のため」に勉強するようになっていきます。

逆に、「勉強したい人に奨学金を出すのは私たち市民の責務だ。だって教育は、巡り巡って自分たちに返ってくるから」と考える人が増えれば、勉強というのは公的なものになり、奨学金を受給する人たちは「社会のため」に勉強するようになります。

さて、どちらが成熟した社会なんでしょうね。ぼくは自分の娘には、後者の社会を残したいです。

 

勉強というのは、それ自体が公的なものです。頭が良い人が増えたら、社会が良くなるというのは、子どもにもわかる理屈です。

だとしたら、ぼくらは社会として勉強する人を支援すべきです。どこまでサポートするかは程度の問題ですが、この不安定な雇用情勢のなか、720万円の利子付き借金を負わせるのは狂っていると思いますよ。

今、どうしても返済に困っている人には減免措置を、今後奨学金を借りる人のために学費の減免、無利子ないし給付型の奨学金を増やしていく必要があるでしょう。

 

奨学金問題、引きつづき取材をしていきたいと思います。関連サイト、記事も挙げておきます。

結婚にまで影響する?奨学金の返済問題が深刻らしい – NAVER まとめ
全国学費奨学金問題対策委員会
全国学費奨学金問題対策委員会 (gakuhi_mondai)さんはTwitterを使っています

 

 

と、上の記事を書いたところ、たくさんフィードバックをいただきました。反論するかたちになってしまいますが、ぼくの意見を記しておきます。

 

やっぱり、奨学金問題は自己責任ではない:ご意見に反論いたします

「バイトで稼げばいい」

まず、件数が多かったのが「バイトで稼げる」という主張。

大学をどのような目的で進学するかに、拠ってくるのでしょうね。 単に「大卒という学歴が欲しい」というだけなら、ド楽勝科目だけを履修し、最小限の努力で単位をゲットし、空いた時間をひたすらバイトにつぎ込む、というアプローチもありだと思います。進学の目的が純粋に学歴の獲得であるのなら、ぼくも「アルバイトで頑張って稼げばいいんじゃない?」とアドバイスします。 が、現実にはそれ以外のケースが大半で、大学に進学する目的というのは、当たり前ですが「勉学のため」です。学部学科、ゼミによっては圧倒的な勉強量を課されることもあるでしょう。そういう場合においては、言うまでもなく「バイトで稼げ」というのは無茶な要求なわけです。 12万円を稼ぐとしたら、時給800円でも月150時間の労働が必要です。年間にして1,800時間。4年間だと7,200時間。この時間を勉学に割くことができれば、難関資格の一つは軽く取れてしまうでしょうね。大学はそもそも勉強するために行く場所ですから、「奨学金を取るくらいならバイトしろ」というのは、基本的に本末転倒な話だと思います。

「社会に出てから大学に通い直せばいい」

これは選択の問題で、確かに「18歳で進学しない人」もいますが、世の中には「18歳で進学したい人」もいるわけです。親兄弟でもあるまいし、「18歳で進学したい人」の意志をぼくらは尊重すべきです。「18歳で進学したい人」が金銭的な事情で進学を諦めざるを得ないような社会、返せるかもわからない高額な借金を背負う社会は、ぼくは嫌ですね。 また、高卒で社会に出ることは、一般的にハイリスク・ローリターンであるのも事実です。ここら辺は統計資料が充実していますが、たとえば生涯賃金で見ても、高卒と大卒では4,000万〜6,000万円の格差があります。金銭的な事情で進学できない人を、ハイリスク・ローリターンな高卒という道に追いやるのは、公正とは言えないでしょう。

「高卒でも生きていける」

これも上と同じで、選択にまつわる問題ですね。「大学行かないで就職する道もないわけじゃない」ことと、AさんなりBさんなりCさんが「大学に行きたい」と願うことは別の話です。 Aさんたちの希望を「お前の家は金がないんだから、大学に行かずに就職すべきだ。現に、ほれ見ろ、オレはなんとかなってるぞ」と掃き捨てるのは、ヒドい話です。こういう人は、まず「自分は社会環境に恵まれた強者である」という自覚を持つべきかと。

「努力して給付奨学金を受ければいい」

生まれ落ちた家庭は選べません。この論理が導きだす「貧困家庭に生まれた人は、他の人よりも一層努力しなければならない」という帰結は、やはり公正ではないかと。貧困状態では学習塾に通うこと、教材を購入することも難しくなりますし、あまりにもハンデが厳しすぎます。

「貧乏人は努力せよ」

こちらも同様で、この論理だと金銭的にハンデがある人は、そうでない人に比べて一層の努力をしないといけないことになりますね。そういうロシアンルーレットめいた社会は、ぼくは嫌です。生まれる家庭は選べませんから。 「適切な努力をする」ということは、それ自体が、ある種の資本であることを忘れてはいけません。人間というものは、色々なものに恵まれていないと努力なんてできませんから。 ついでに、「月額12万は明らかに借り過ぎ」とありますが、彼は地方から出てきて一人暮らしをしているので、むしろ足りないくらいだと漏らしていました。実際、学費と家賃を支払ったら12万円などすぐに消えます。「明らかに借り過ぎ」という意見は明らかに誤りでしょう。

「返せるかどうかをよく考え、予見すべきだ」

こちらも複数いただいた意見です。借金の金額を予見できるのだから、自己責任だと。
他の意見に関しては政治思想の違いに収斂できる部分が大きいですが、この意見については、明らかな誤謬があるように見えます。それは、これらの意見が「借金をするときに、借金を返せる目処が立つことを、学生が完ぺきに予見している(べきだ)」という前提に立っていることです。 無論、それは無茶な要求です。ぼくが取材したTさんが漏らしていた通り、実際は「奨学金を貰って進学したけれど、就職できるかどうかはわからない」わけです。就職できたとしても、そこはブラック企業かもしれません。 最短でも卒業まで4年の時間が掛かるわけですし、奨学金を借りるときに「自分は4年後、100%就職できて、心身を病むことなく働きつづけ、完済することができる」と確信を持てる人なんて、いるわけがありません。そういう人がいたとしたら、それは現実を見ていない傲慢な人です。
また、18歳の学生が借金の重みを完ぺきに理解できる、という前提も疑うべきです。ツイッターではこんな意見もいただきました。

「深く考えずに借りるとは何事か!」と突っ込む人がいそうですね。あなたはさぞかし立派な方なんでしょうけれど、ぼくを含めて、人間(ましてや18歳の子ども)というものは愚かなものです。

「このケースには同情できない」

「事情はわからないけど、このケースについては同情できない」という意見も目立ちました。そう言いたくなる気持ちはわかりますが、個人的にはこれも強烈な違和感があります。 この論理を突き詰めると、世間から同情される人は救われ、同情されにくい人は救われないことになってしまいます。「可哀想な人しか救わない」社会は、未熟だとぼくは思いますね。 ついでに、「一丁前の文句は一丁前の努力をしてから言え!」とありますが、「一丁前の努力」はどのような基準で判断されるのでしょうね。ぼくは彼の話を聞いた当事者ですが、十分「一丁前の努力」をしていると判断しましたよ。 効率性の話から言っても、この種の社会問題については、そんな表面的、属人的な話ではなく、もっと根源的な制度について問い直すべきでしょう。こいつは自己責任だと思う、あいつは自己責任じゃないと思う、オレはあいつに同情する、オレはあいつに同情しない…などという不毛な「犯人探し」をしても仕方がありません。

どう解決する?

解決にあたっては長期的な施策と短期的な施策を、わけて考えるのが良いのでしょう。 長期的には「MOOCのような低コスト・高品質教育を充実させる」「奨学金という名前を辞めて、学生ローンという名称にする」「studygiftのような民間の支え合いを強化する」「奨学金に対するリスク説明を徹底する」「奨学金問題について、大学側のコミットメントを強化する」「給付奨学金を充実させる」などなど。 今まさに困っている人に関しては、短期的には「金利の引き下げ」「延滞金の減免」「障害、病気などに伴う返済免除」といった方策になるのでしょう。ここはどうしても、大なり小なり社会的なコストが掛かる話になってくるでしょう。 要するに、奨学金問題を解決するために税負担が重くなる(または、他の公共サービスの質を落とす)ということです。自己責任だとは思えない以上、ぼくは税金が多少上がっても、救済すべきだと考えます。この社会をつくった、ぼくら大人の責任です。 参考までに、現在滞納されている金額は900億円弱とのこと。09年度の「公財政教育支出」の16.8兆円を母数にすると、0.54%程度になりますね。直感的には少なく思えますが、実際の負担、予算のプライオリティはどう考えられるのでしょう。
色々と面白い取り組みは出てきていて、たとえば「法政大学「古本募金」」なんてものもあります。国による支援・救済を議論することはもちろんですが、OB/OG、地域やコミュニティの力による支援を盛上げていくことは、今すぐできることとしてやるべきだと思われます。
引きつづきご意見募集中です。コメント欄、ツイッターでぜひぜひ。

 

「努力できる」あなたは、とっても恵まれているんですよ

奨学金問題続き。色々面白いご意見をいただいております。

 

努力は「恵み」の産物

この種の「苦労」「努力」にまつわる議論もたくさん見受けられました。奨学金を貰うほど貧乏なヤツは、努力してそれを乗り越えるべきだ云々。 大前提として、努力というものは「余裕」がないとできないものであることを認識すべきです。今、みなさんが何かについて「努力」できているとしたら、それは相当、金銭的に、人的に恵まれていると思ったほうがいいです。
大学の話と関連づければ、ぼくは高校時代、塾にも通わず、教材もネットで無料のものを調達するようにし、かなり低コストで早稲田政経に合格することができました。ぼくはかなり「努力」したと自分でも思います。 …が、それはぼく自身が金銭的に恵まれていたからできた「努力」であることは、まず間違いありません。振り返れば、ぼくは中学入学時に、当時25万円以上するPCを、親に買ってもらいました。あの当時は常時接続もなかったので、通信費も毎月1〜2万円払ってもらっていたはずです。ぼくが育った家庭は、その程度には裕福だったのです。 さらに振り返ると、ぼくが「努力」することを覚えたのは、吹奏楽部での経験でした。友人、教師に恵まれ、「自分は努力すれば上手くなるんだ」という事実を、肌身で知ることができました。部活というものはお金が掛かりますから、中には、家庭の経済的事情でアルバイトをしなければならず、途中で退部していく仲間もいました。ここにおいても、うちの家庭は十分に裕福だったのです。 ぼくは塾に行かなかったので、かなり孤独な受験生でした。低偏差値の高校だったため、ハイレベルな大学を受験する仲間も見つかりません(高校創立以来、早稲田政経に受かったのはぼくが初めてでした。マーチレベルでも大喝采)。ぼくが孤独に耐えることができたのは、安心して過ごすことができる家があり、自分を認めてくれる仲間、親たちに恵まれていたからです。もっと振り返ると、孤独に耐える力は、今は亡き祖父がぼくをたっぷり愛してくれたからなのかな、とも思います。詩的にいえば、死んだじいちゃんは、今もぼくのなかに生き、心の支えになっています。
というわけで、ぼくはとても恵まれた人生を歩むことができたので、こうして日々努力することができています。ホントに、運がよかったです。
努力とは、運や成功体験に恵まれて、その後にはじめて「できるようになる」ものです。健全な努力の背後には、「私はこれを達成できるんだ」という強い自己肯定感がある、ということです。それは生まれながらに持っているものではなく、時間を掛けて育まれるものです。

その意味で、この人の言葉を援用するのなら「最も努力しない人間」を「ちゃんと努力できる人間」に育てていくことを、社会として目指すべきです。「こいつは努力できない人間だ」と切り捨てるような社会の方が、よほど破綻に近いとぼくには思えますね。
努力できない人がいたら、それは彼らが「恵まれてこなかったから」と考えるべきです。その裏、自分が努力できていると思うのなら、それは自分が「恵まれてきたから」と考えるべきです。それがほんとうの話ですから。
「オレは努力できた、だからお前らは怠けている」という凶暴な論理は、その人がどういう「恵み」を受けて育ってきたかを100%無視しています。 また、これは、その人なりの努力を一方的に評価する論理でもあります。「オレは努力できた、だからお前らは怠けている」と語る人は、自分が正しく、相手が間違っていると確信している人です。 他人に努力を押しつけ、怠惰を罵る人は、二重の意味で傲慢といえるでしょう。
「オレは努力できた、だからお前らは怠けている」という論理は、「恵み」の循環を断ち切るものであることも指摘したいです。 「オレは努力できた、だからお前らは怠けている」と考える人たちは、恵まれない他人のために、自分のリソースを割くことがありません。だって「努力」は自己責任ですから。なんで怠け者の面倒を見なくてはならないのでしょう? 一方で、自分が享受してきた「恵み」に自覚的な人たちは、自分が受けてきた「恵み」と同じもの、それにもっと価値を乗せたものを、未だ恵まれない人に与えようとします。自分が脈々と続く「恵み」の循環のなかに存在していることを、彼らは自覚しているのです。
これは人生観の問題です。 冒頭で引用した方も、「それだけの苦労を他の奨学金借りた奴らはしてるのか?と疑問に思う」と語るのではなく、「自分はたまたま運がよくて苦労を乗り越えられたから、乗り越えられない人たちを助けようと思う」と語ることはできます。 日本は豊かな国ですから、多くの人が「自分は恵まれてきて、今の状態に達したんだ。だから、恵まれない人たちに対する義務があるんだ」と感じることができるようになれば、すぐに社会はよくなると思うんですけどねぇ…。

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