乙武さんのツイートに対する反応を長らくウォッチしています
「どちらが悪いのか」を決めようとする人々
とりあえず見ていて思うのは「乙武さんと店長のどちらが悪いのか」を決めようとしている人が、結構な数いること。
彼らは人を裁くことに躍起になり、白黒付けるために自分の考えを披瀝しています。当事者間では問題が解決していることを、なんら気にすることなく「あいつが悪い」「こっちも悪い」と語り合います。まぁ、要するにヒマなのでしょう。
一方で、より建設的に物事を考えている人たちは、この騒動から「いったい何が問題なのか」を導き出そうとしていることに気づきます。思考が鳥瞰的、メタ的といってもいいでしょう。
はるかぜちゃんは「暴力と正義の構造」についてを、
正義という名を名乗り、他人の暴力を責めるなら(ω)それを嬉々として責め立てるじぶんの中の暴力性にも、目を背けないで向き合ってください(ω)
— はるかぜちゃんさん (@harukazechan) 2013年5月19日
@H_Nobunagaさんは「Politically Correct」についてを、
忙しい店でも障がい者の方がきたら対応をする、これは良い悪いではなく(店舗側にも断る理屈はいくらでもあるわけで互いに言い出したらキリがない)単にpolitical correctlness。歴史的にみれば障がい者が政治的運動で勝ち取った権利だ。いわゆる「戦後レジーム」と同じ。
— 林信長さん (@H_Nobunaga) 2013年5月19日
田村耕太郎さんは日本の国民性についてを語っています。
日本は車いすだけじゃなくベビーカーにもやさしくない感じ。「自分も昔そうだった」、「これからそうなるかもしれない」、って思った方がいいのに。
— 田村耕太郎さん (@kotarotamura) 2013年5月20日
日本は「他人に迷惑かけるな。その代わりに他人の迷惑を許すな」って感じの社会。ざっくりいえば、外国は「あなたも迷惑かけるだろうから、他人の迷惑には寛大にね」って感じ。超高齢化迎えるんだから、社会の前提変えた方がいいと思うけどね
— 田村耕太郎さん (@kotarotamura) 2013年5月20日
自身のツイートでも言及している方もいますが、彼らは「どちらが悪いのか/正しいか」といった低レベルな話には与していません。ぜひ注意深くチェックしてみてください。
なぜ彼らは「あいつが悪い」と断罪しないか?それは彼らが他人を裁くことが傲慢であること、そもそもその議論は不毛であることを、よく知っているからです。
「誰が悪いのか」を決めたがる人間は三流
刺激的なタイトルですが、「誰が悪いのか」を決めたがる人間は、間違いなく三流です。
それは仕事の態度なんかにも透けて見えます。仕事ができない三流人は、何か問題(たとえば「報告漏れ」)が起きたとき「あいつのせいだ!ミスしやがって!やる気がない!けしからん!」と憤り、叱責します。
仕事ができる一流人は、問題について「今の仕組みが悪いから、報告漏れが起きるんだよな…。仕組みのデザインを変えなければいけない」と考えます。彼らは「あいつのせいだ!」という短絡的で動物的な怒りに駆られることはありません。淡々と、問題の根本に思いを馳せ、改善に向けて動き出します。
この例においても、三流の人は「誰が悪いのか」を決めたがっているのです。だって、人を裁くのは気持ちいいですし、全部他人のせいにするのがラクですからね。
一流の人は、
①まず他人を裁くことを忌避します。
②裁きたくなる気持ちを抑え、鳥瞰的な視座にたって物事を見るように努力します。
③そして、いったい何が原因なのかを考え、解決への示唆を導き出します。
このプロセスは、上で引用した人々のツイートからも分かると思います。三流の人はこういう思慮ができないくらい「浅い」のです。
他人を裁くのは、本質的に傲慢な行為です。ぼくらはどうあっても、そこまで正しくありません。その罪悪に気づくところから始めるべきです。