賛否両論?イケダハヤトが物申す

なぜイケダハヤトは読者の反感を買うブログ記事を書くのか

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ざっくり言うと…
・みんな不健全に我慢しすぎ。本当は反社会性を抱えているのに。
・イケダハヤトが反社会性を発揮し、炎上すれば、それだけ社会は多様性を許すようになる。地雷をどんどん踏んでいく。
・イケダハヤトは常に市場に晒されているので、意義がなくなったら消えていくのみ。

 

かさこさんが反応してくださっているので(ありがとうございます!)、ぼくがブログを書く理由について整理してみます。

スルーできないイケダハヤト氏と読者の生産性なきチキンレース(かさこ) – BLOGOS(ブロゴス)

 

各々が、自分のなかの「反社会性」を認められるように

あえて大義名分を述べれば、ぼくはみんなが社会性豊かなのが嫌なんです。もっと、自分のことばで語ればいいじゃないか、と思っているのです。

 

人間、誰しも生きていれば「反社会性」を抱えて生きていくことになります。

上司が嫌い、親が嫌い、友だちが嫌い、あぁめんどくさい……。でも、「社会人」として「空気を読んで」「我慢して」生きていかないと、村八分になってしまう。

だから、反社会性なんて見せてはいけないし、見せるのは損にしかならない。日々を唯々諾々と生き、言いたいことは陰口でしか言えず、顔色をうかがいながら生きて、死ぬ。

ぼくはそういう人生は嘘っぱちだと思います。自分の中の反社会性を自分で認めることができないのは、人間的な未熟さです。楽な方向に逃げているだけです。同様に、各々が持つ反社会性を認めない社会は、未熟な社会です。

 

ぼくの理想とするところは、人々が健全に反社会性を発揮できる社会です。対話を通して、一人ひとりの「わがまま」が最大限許容される社会をつくることを夢見ています。みんな我慢しすぎですから。うつ病やらブラック企業なんてのも、結局「わがまま」が押しつぶされた結果じゃないですか。

「わがまま」が許容される社会をつくるためには、まずはかくいうぼくが、素直に、自分のなかの反社会性を発揮する必要があると考えます。

領土問題に全く関心が持てない件」「サラリーマンの仕事の質がフリーランスよりも低い理由 」といった記事は、ぼくがごく自然に反社会性を発露した結果です。別に嘘は付いていませんし、誇張しているわけでもありません。

内容については賛否両論あれど、中身のない記事を書いているつもりはありません。現に、それなりの反応を得ることはできています。中身がなければ、ぼくのブログがここまで読まれることはないでしょう(とはいえ月間で30万人程度ですが…)。

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屈折した理想主義だ、ヒロイズムだと非難されそうですが、ぼくは、自分が炎上すればするほど、社会に多様性が生まれると考えています。無論、「炎上狙い」ではなく、自分を自然に出した結果として、炎上した場合に限りますが。

 

誰も立ち入っていない洞窟(タブー)に光を当てれば、当然なかに住んでいる魑魅魍魎たちや、社会的な人間たちに攻撃されることになります。

しかし、ぼくが初めて立ち入ったことで、後につづく人たちはその洞窟に入ることが、絶対的なタブーではなくなります。「自分が炎上することで社会が多様になる」というのは、このようなイメージです。

(記事を書き終えたあとに、もっと的確な例えを思い付きました。ちょっと文脈違いますが、小田嶋隆さんがいう「地雷を踏む」という比喩はわかりやすいです。ぼくが地雷を踏みまくれば、みなさんが立ち入ることができる場所は増えていきます)

 

また、創作者というのは、そういう境界を開拓していくことに価値があるとも思っています。開拓すべきフロンティアがなくなったときは、創作者としてのぼくは死んだということでしょう。幸い、まだまだ辺境は残されているように思えます。

 

最後に、ぼくは意外なことに?市場原理を信じています。ぼくのことを無価値だと思う人が増えれいけば、イケダハヤトという存在は、ほとんど自動的に没落していくでしょう。ちょうど、数多くのベストセラー作家が消えていったように。

かさこさんをはじめ、色々な人がぼくについて語ってくれるということは、まだぼくに市場価値があるということです。とりあえず死ぬまでの短い人生、この強烈な市場の波に乗りつづけるつもりでやっていきます。まぁ、これはほとんど運の問題なので、ダメなときはダメでしょうけれど…。

 

というわけで、ぼくは引きつづき、素を出しながら、反社会性に富んだ記事を生産していく予定でございます。結果的に皆さんの反感を買うこともありますが、それによって多様な社会はつくられていくでしょう。みなさんも、ぜひもっとわがままに生きるといいと思います。

 

イケダハヤトはなぜ炎上するのか?

先日「かみぷろ」の取材を受けてきまして、ひっじょーに面白い時間を過ごさせていただきました。プロレスをずっと追いかけてきた人たちだけあって、なんというか、人の「戦い方」についてはハンパない洞察力があります…。色々見抜かれて冷や汗が出ました。

 

あらゆるものを切り出せ

ぼくがなぜブロガーとしてそれなりに食えているかといえば、それはシンプルで、「できるだけ多くを”切り出して”いるから」です。

ぼくは何かすばらしいものを見つけたとき、瞬時にブログを書きはじめます。書かないでいると、自分の中に澱が溜まっていってしまい、本気で気持ちわるくなります。

一方で、何かイラっときた瞬間、「これはおかしい」と思った瞬間があれば、それをすぐ文章化するようにしています。これもやはり、出さないと気持ちわるくなるのです。

普通の人は、すばらしいものを見つけても、イラっとしても、よほどのことがなければ、ブログにアップすることはありません。ぼくと他人の違いはそこです。

 

文章を書いている時間は、ぼくにとって癒しです。今もまさに、ものすごく癒されています。ぼくは「ブログでメシを食う」ために、意識的に、そういう体質に自分を変えてしまいました。だから、こうして書き続けられますし、書き続けざるを得ないのです。あらゆる刺激に対して、ぼくはそれなりに敏感に反応して、すぐに文章をしたためるのです。

 

ネット時代が可能にした創作技法

こうした高速な「インプット→アウトプット」の表現は、ネット時代が可能にした新しい創作の技法です。

ネットがない時代には「今日はこんなことがあった」と世界に発信することは、そう簡単ではなかったのですから。太宰治とかがブログで日記を公開していたら、相当面白かったと思います。

ぼくがなぜ注目を浴びることができているかといえば、その理由の一つは、「インプット→アウトプット」の回路が高速で、あらゆる刺激を切り出し、オンラインにアップすることに成功しているからなのです。こういう手法を本気で試したことがある創作者は、それほど多くないのではないでしょうか。

 

注意したいのは、ぼくが受けている刺激は特段、珍しいものではないということです。ぼくは凡人です。特別なバックグラウンドもありません。毎日普通に生活しているだけです。

ただ、普通の人は、「普通の生活」にまつわる刺激を、ぼくのような頻度では切り出しません。なので、自分を切り出しつづけるぼくが、自然と目立ってしまうわけです。

 

受けている刺激が平凡である以上、ぼくは新しいことを書いているわけではありません。多少働き方は特殊ですが、実際、感受性も発言内容も、ごく普通の若者のレベルです(これはぼくが超えなければいけない壁です)。だから「いいね!」も集まるのでしょう。本当に新しければ、誰もいいね!を押しません。

違うのは、「高速なインプット→アウトプットの回路を持つ」ごく普通の若者、という点です。ぼく以外にもすばらしいインプットを得ている人は山のようにいますが、彼らはアウトプットのスピードが遅いか、そもそもアウトプットしていないのです。

 

家入さんの創作活動に共感するのは、彼が「普通の人でも自分を切り出せば価値を生み出せる」という確信のもと、表現を行っているように感じられるからです(顔面広告はその代表作でしょう)。

かくいうぼくも、「普通の人でも自分を切り出せば価値を生み出せる」を実証している人間のひとりだと思っています。

 

というわけで、ぼくが競争優位を維持できているのは、誰もぼくのようにアウトプットしないからだと、自分では考えています。

「イケダハヤト」より優れたインプットを得ている人が、イケダハヤトのようなアウトプットをするようになったら、イケダハヤトはすぐに価値がなくなるでしょう。そうならぬよう、ぼくは回路をさらに鍛え、インプットの質を高めていくのみです。

 

炎上するのはアウトプットするから

捕捉すると、ぼくが炎上する理由もまさにここで、普通の若者はわざわざ言わない or 言えないようなことも、ザクザクと切り出しているからなのでしょう。

人間社会に生きている以上、反社会的な思い(「上司がうざい…」など)を抱く瞬間は出てきます。

多くの人はそこで口を噤むわけですが、ぼくは縛られていないので、そういう反社会的なことも書ける立場にあります。で、炎上すると。

 

ぼくは書くことが好きなので、当面は「高速なインプット→アウトプット」という方向性を模索したいと思います。何よりそれは、生き延びるためにも必要です。

いずれ年老いたときには、アウトプットの頻度を極端に減らし、「鶴の一声」的なことばを発することができる存在になっていたいと願っています。

 

関連本は自分の本で。タイトルからして反社会的ですね。これは編集者の方が付けてくださったものです。

 

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