賛否両論?イケダハヤトが物申す

嫌われれば嫌われるほど、一流の人たちに囲まれるようになる

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昨日は佐賀県に赴き、生涯学習プログラムの講義を担当してきました。シシリアンライスうまかったです。

講義の前、佐賀で頑張る同世代の方と「嫌われるのが怖い」というテーマで対話をしました。そのとき話したことを書いてみます。


人はどうやっても嫌われる

まず大前提として、「嫌われたくない」というのが幻想であることを知るべきです。価値観を揺さぶる名著「ひとを”嫌う”ということ」より。

ここに「自分に落ち度がなければ嫌われるはずはない」という単純な論理を求めますと、相当おかしくなっていく。あなたが嫌われるのは、自分に落ち度が無い場合がほとんどだからです。

そうです。「嫌われるのが怖い」という意識のもと、空気を読んで自分を押さえつけたとしても、あなたは嫌われるのです。

あなたの経歴、立ち振る舞い、言葉遣い、容姿、人間関係などなどの要素をもって、あなたは誰かから嫌われます。「オレが嫌いなあいつと仲良しだから、おまえが嫌いだ」なんてことも往々にしてあります。何度か書いてますが、ぼくは「嫌われたくないから空気を読んで生きてます」という人が嫌いです。

何をやっても嫌われるのなら、思い切って嫌われてしまいましょう。自分を偽る部分を減らせば、それだけ生きやすくなりますので。


一流の人たちはみんな嫌われ者

ここからが本題。ぼくが観察するかぎりにおいては、人から嫌われるような存在であればあるほど、一流の人たちとの距離が近くなっていきます。

一流と呼ばれるような人たちは、ほとんど必ず、誰かから嫌われた過去を持っています。人によっては今現在も嫌われ者だったりします。文筆業の世界でいえば、一流の作家には必ずアンチがいます。アンチがいない作家は、キャズムを超えられていないという意味で、二流の作家です。

自身も嫌われた経験がある一流の人たちは、誰かが何か新しいチャレンジをして、その結果嫌われたときに、彼らチャレンジャーの中に過去の自分の姿を見いだします。「わたしも昔、叩かれたなぁ。こいつは面白いヤツなのかもしれない」と。「出る杭」は「出ようとする杭」に注目してしまうわけですね。


ぼくの短い職業人生においても、自分の意見を発して、その結果炎上すると、やっぱり面白い人たちからお声が掛かります。

気をつけたいのは、ここで歓迎すべき「嫌われる」というのは、「新しいことに挑戦した結果として嫌われる」ことを指すことです。「あいつはダメだ」「オレはダメだ」などなど、「他罰的、自罰的な態度を取った結果嫌われる」ことは、無論望ましくありません。

こういう嫌われ方をされる人、要するに「出る杭を打とうとする人」「出る杭になれない自分を卑下する人」は、どこまでいっても二流でしょう。


自分なりの表現、チャレンジを行い、その結果として誰かから強烈に嫌われるということは、一流になるための通過儀礼です。同調圧力の高い日本においては、この儀礼は苛烈さを極めることもあるでしょう。

が、圧力に屈せず自分を貫き通すその姿勢に、美徳を見いだす人たちも存在します。ソーシャルメディアを使えば、ほとんど必ず共感してくれる人が現れるでしょう。何もチャレンジしなければ、そうした新しいつながりは生まれません。

短い人生なのですから、自分を表現し、「出る杭」の仲間入りをしてはいかがでしょうか。


関連本。出る杭といえば岡本太郎。勇気をもらえること間違いなしです。


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