賛否両論?イケダハヤトが物申す

「やったこともないのに語るな」

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要するに…
・僕のインタビューに対して「やったこともないのに語るな」という批判が来ているらしい
・「やったことがない人の意見」にも価値はある
・が、それらの意見は、「希少性」と「アクションを起こすための当事者性」は低い
・「やったこともないのに語るな」と語る人からは、序列意識が透けて見える
・未経験者である自覚を持ち、自信をもって発信すればよい

 

某氏より教えて頂いたのですが、NHK出版の3Dプリンタに関する僕のインタビューが、デジタルファブリケーション業界周辺で物議を醸し出しているらしいです。

 

「使ったこともないのに語るな」

その批判の主要なものは「使ったこともないのに語るな」というものらしい。

確かに僕は3Dプリンタをユーザーとして使ったことは未だありません。ですが、それを理由にして「語るな」というのは強烈な違和感を覚えます。政治を語るなら政治家になってから語れ、的な荒唐無稽な批判に聞こえます。

これはどんなテーマにも共通しますが、「使ったことがない人の意見」は、「使ったことがない人の意見」としての価値があります。受け手は脊髄反射的に怒り出すのではなく、それはそういうものとして、「使ったことがない人はこう考えるんだなぁ」と捉えればよい話です。

 

希少性と当事者性は低い

ただ、「やったことがない人の意見(例えば「政治に参加したことがない人の意見」)」は基本的に大多数となるので、希少性は低い傾向があります。「使ったことがない人の意見」は容易にコモディティ化していくでしょう(なので、僕のインタビュー記事は早晩価値がなくなっていくと思われます)。

なにより、得てして発言主の当事者性が低いので、議論の結果として具体的なアクションが起きる可能性が低いです。「やったこともないのに語る」ことに問題があるとすれば、ここが最大の難点でしょう。「やったことがない人」は、ほとんどの場合、一緒に問題解決に乗り出してくれないのです。

 

例えば、僕は「NPOが寄付を集められるようになるために、NPOのマーケティング支援」を行っているのですが、このテーマに関して「やったことがない人」の意見を貰うことは、参考以上のものにはなりません。

僕は具体的な問題解決を狙っているので、できれば「やったことがある人」の意見が聞きたいですし、さらにいえば彼が「(今も)やっている人」であると百人力です。すぐにでも具体的なアクションが発生するでしょう。

「やったことがない人」であり「やろうとも思っていない人」とお話をしても、「ご意見ありがとうございます」の域を抜け出せません。彼らが僕と一緒に動いてくれることはないでしょう。

その意味では、当事者性の有無は、問題解決を目的にした議論においては、非常に重要なポイントとなります。

 

長々と語りましたが、今回のインタビューは問題解決を目的にしているわけでもなく、ただ「3Dプリンタの情報も扱うテック系ニュースサイト運営者」として思うことを語ったのみです。

ご存知の通り、僕はデジタルファブリケーションに限らず新しいテクノロジー全般が好きなので、国内では比較的早く3Dプリンタの情報には着目をしていました。そういう立場でカジュアルに語ったについて、「使ったこともないのに語るな」と糾弾されることは、強く違和感を覚えるわけです。

 

裏にあるのは序列意識

「やったこともないのに語るな」という批判の裏に、「業界のことも知らない素人が偉そうに語るな」という序列意識を僕は嗅ぎ取ります。

「やったこともないのに語るな」と語る方々に対しては、「何も知らない素人」でも言葉の価値は相応にあるし、それが言葉をはぎ取る理由にはならない、と僕は回答します。取るに足らない意見なら、そもそも気にしなきゃいい話です。

(これを書いていて、以前、マーケティング界隈の偉い人に「お前はコミュニケーションを語るな」なんて言われたことを思い出しました。なんだそりゃ、って感じですね。)

 

「やったこともないのに語るな」という批判は、僕が経験したものに限らず、様々なところで見受けられますし、皆さんも投げかけられたことがあるかもしれません。

いいんですよ、やったことがなくても。それはそういう立場からの意見ですから。未経験であることさえ自覚していればいいのです。さもやったことがあるかのように語るのはやめて、開き直って素人の言葉を発言しましょう。

 

「レベルの高い意見」とは何か?

要するに…
・ハイレベルな意見は、「当事者性」を帯びたもの
・当事者性のない意見は、「便所の落書き」か「議論ゲーム」にすぎない
・ライター稼業には、インタビュー、読書、活動への関与などを通して、扱うテーマに対して当事者性を持ちつづけることが求められる

 

「プロブロガー」としてウェブ論壇で食っていくのは楽じゃありません。レベルの高い意見というものについて考えてみました。

 

例えば「生活保護不正受給」の問題をどう論じるか

誰かが何かを論じるときに、嫌らしい話ですが、僕はその人の「レベル」をほぼ無意識に判定してしまいます。

例えば「生活保護不正受給」の問題を考えてみます。

2chなどに溢れる「レベル1」の人たちは、「不正受給」という単語が含まれるニュースを見た瞬間、ほとんど脊髄反射的に「不正受給のナマポは氏ね!」と、ひとこと書き残して消えて行きます。これはスライム以下の存在なので、ほとんど相手にする必要はありませんし、書き込んでいる人も相手にされたいとも思っていないでしょう。いわゆる便所の落書きです。

BLOGOSのコメント欄あたりには「レベル2」の人たちが棲息していて、もう少し中身のある議論をしているような感じを抱きます。が、どうにも「言論バトル」をしたい空気が流れており、基本的に建設的な議論がなされることはありません。彼らは「一言いってやりたい」というモチベーションで突き動かされているため、大半は言葉を口汚く戦わせるのみで留まり、問題解決にまで辿りつくことはありません。

「生活保護不正受給」といった問題に対して、僕が無意識的に「レベル3」に振り分けてしまうのは、「実際に貧困の現場を目にして、解決のために動いている人の意見」です。賛否はあれど、「現場を知る」彼らの意見は、相対的に耳を傾ける価値が高くなります。この問題に関していえば、本ブログでも取り上げたフローレンスの駒崎さんの意見などは、僕も共感しますし、意見としてのレベルも高いと思います。

 

図示するとこんな感じ。これはあくまで僕の捉え方ですが、こんな感じでネットの意見を分類しています。

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レベル3でありたい

どんなテーマを扱うにせよ、重要視すべきは当事者の声です。彼らは議論ゲームを超えて、当事者として問題に関わる力を持っています。

例えば先日、僕は「Kindleを売らない家電量販店と「ショールーミング」の未来」という記事を書きましたが、これは所詮「議論ゲーム」の域を出ません(なので、この記事は公開するかどうか、けっこう悩みました)。僕は家電量販店ビジネスの当事者でもなければ、Kindleを売るAmazonの社員でもないからです。僕はこのテーマに対して「外野」にいることしかできず、深くコミットすることができません。

僕が仮に家電量販店の経営者だったら、僕の意見は強烈な当事者性を帯び、その情報価値も高まっていくでしょう。もしくは「家電量販店ビジネスのコンサルタント」でもいいかもしれません。とはいえ現実的には、家電量販店ビジネスについて書かれた本を読むことで、間接的に当事者の意見を引用するのが限界でしょう。とにかく、当事者に近づけば近づくほど、意見の質は高まっていくと僕は考えています。

 

というわけで、論壇に生きる人間としては、なるべく当事者に近い立場で意見を発信したいと思いますし、発信するからには当事者として問題に関与する覚悟を持ち続けて行きたいと考えます。これができないと、ただ「言葉を操っているだけ」になってしまい、僕は早晩食っていけなくなるでしょう。

ハイレベルな意見を言うためには、常にその世界の当事者である努力が求められます。インタビューや書籍を通して、間接的に現場を知ることもありだと思います。とにかくインプットと行動が求められるでしょう。ライター稼業は楽な仕事じゃございません。

というわけで、あくまで僕の考えですが、「レベルの高い意見」を言えるようになりたい方はぜひ参考にしてみてください。皆さんなりの見解があれば、ぜひコメント欄で教えてください。

 

そんなわけで、新刊はなるべく当事者的な目線で社会について語ってみました。オピニオンを出し切ってみたので、ぜひお読み頂き、一緒に世の中について考えていきましょう。

 

関連本。「やったこともないのに語るな」は載っていませんが、「おまえのためを思って言ってるんだぞ!」「ひとりで生きてるんじゃないからな!」など、「あるある」と頷いてしまう言葉たちが槍玉に挙がっています(ブックレビュー)。

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