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コツコツと、世の中を良くしようと努力する人たち。

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かといって、変な使命感を背負うわけでもなく、なんとも楽しそうに仕事をしているのも素敵です。

仏教思想のゼロポイント―「悟り」とは何か―」という一冊に、こんな話があります。

渇愛を滅尽し解脱に至った者たちは、存在することを「ただ楽しむ」のである

それはもちろん、「欲望の対象を楽しみ、欲望の対象にふけり、欲望の対象を喜ぶ」ような、執著によって得られる「楽しみ」ではなく、むしろそこからは完全に離れ、誰のものでもなくなった現象を観照することによってはじめて知られる、「最高の楽(parama sukha)」と言うべきものだ。

対象への執著がなく、利益が得られるわけでもなく、必要が満たされるわけでもないが、「ただ楽しい」。そのようなあり方のことを、「遊び」と呼ぶことは許されるだろう。

仏教では、何ものにもとらわれない自由闊達な仏の境地のことを「遊戯三昧」と形容するが、ここで言う「三昧」は、「集中」というより「まじりけがない」というほどの意味。つまり、解脱者たちの生きる時間は、その本質として、純粋な「遊び」であるということだ

したがって、彼らの一部が利他行の実践へと踏み出すのも、もちろん「遊び」ということになる。彼らは「必要」だからそれをするわけではないし、「意味がある」からそれをするわけでもない。

ただ、眼前の「衆生」と呼ばれる現象は、それが本来「公共物」であることに気づかずに、「それは私のものであり、それは私であって、それは私の我である」と考えて「世界」を形成し、自縄自縛の苦しみに陥っている。

解脱者たちも、かつては凡夫であったがゆえに、それが彼らにとっては「事実」であり「現実」の苦として作用していることをよく知っているから、それを「ただ助ける」ことにするのである。

「ただ助ける」というのは、解脱者たちには行為の対象である衆生に対する執著がなく、「物語の世界」を実体視してもいないがゆえに、それは意味も利益も必要もなく、「ただ行われる」ということ。

したがって、それは「遊び」である。そのように「遊び」として「ただ助ける」ということが、捨の態度を根底に有しながら慈・悲・喜の実践を行うということの内実なのであり、それがいわゆる「優しさ」と「慈悲」との違いであるということは、既に述べたとおりである。

この記述を読んで、佐野さんを思い出したんですよね。

あえて語弊のある言い方をしますが、彼はホムーレス支援を「楽しんで」いるんです。

んで、ぼくもビッグイシューには関わっているのですが、やっぱり「楽しい」んですよね。

楽しくクリエイティブに、巨大なチャレンジに立ち向かう人たち。ビッグイシュー最新号を見つけたら、ぜひ手にとって見てください。いい仕事なさってますよ。

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