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「ザ・セカンド・マシン・エイジ」読書メモ。

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これも名著ですね。読んでおくべし。

「機械との競争」の続編的作品。

蒸気機関の発明によるファースト・マシン・エイジは18世紀後半に始まった。

いま、コンピュータを中心としたセカンド・マシン・エイジに突入した。

人工知能の急速な進歩によるデジタル・イノベーションは、グーグルの自動運転車やチェスやクイズで人間のチャンピオンを圧倒する人工頭脳ワトソンなどに象徴されている。

しかし、まだまだ序の口に過ぎない。

こちらは名著「機械との競争」の続編的作品。434ページにわたる大著です。これからの資本主義がどうなるか、機械は雇用を奪うのか、そういった疑問に対して、膨大な調査にもとづく回答が記されています。全日本人必読。

読書メモ。

ワット以前にも蒸気機関はあるにはあったが、おそろしく非効率で、石炭の燃焼エネルギーのわずか一%しか活用できなかった。ワットは天才的なアイデアでこれを改良し、一七六五~七六年の間に三倍以上の効率改善に成功したのである。

そしていま人類は、「第二機械時代」を迎えている。コンピュータをはじめとするデジタル機器は、「目的に向けて環境を制御する頭脳の能力」を発揮する。かつて蒸気機関が肉体労働において実現したことを、知的労働において実現すると言えるだろう。コ

ンピュータは人間の知的能力の限界を吹き飛ばし、人類を新たな領域に連れて行こうとしている。それがどのような形をとるのかは、まだはっきりしない。

その後アシモは改良され、階段の上り下りのほか、サッカーボールを蹴る、ダンスをする、などといったこともやってのけるようになった。

しかしその姿を見ていると、ある真実が浮かび上がる。人間にとってごく自然で当たり前にできることも、ロボットにとっては習得がきわめてむずかしい、ということだ。ロボット工学者のハンス・モラベックは「知能テストで大人を負かすとか、チェッカーをするといったことは、コンピュータにとってさほどむずかしくはない。だが知覚や運動といったことになると、一歳児のスキルを身につけることさえむずかしく、場合によっては不可能だ」と鋭くも見抜いた。

この指摘は「モラベックのパラドックス」として知られており、ウィキペディアでは「一般通念に反して、高度な推論の実行にはコンピュータの演算能力をほとんど使わないが、ごく初歩的な知覚・運動スキルの習得には膨大な能力を費やすこと。人工知能やロボット工学の専門家が発見した」と的確に説明されている。

ブルックスは、社内のデモ用施設内でのバクスターの仕事ぶりを見せてくれた。そして私たちは、モラベックのパラドックスが覆されようとしているのを知った

(略)バクスターには、人間にまさる点がいくつもある。まず、眠ったり、食事をしたり、休んだりする必要がないから、一日二四時間、一年三六五日働ける。福利厚生費はかからないし、失業手当も不要だ。それになんと、まったく無関係の二つの作業を同時にこなすことができる。二本の腕はばらばらに動くように設計されているからだ。

公式統計によると、今日のGDPに情報産業が占める割合はたった四%だ。米商務省経済分析局(BEA)は情報産業の経済寄与度を、ソフトウェア、電子書籍、動画、楽曲、放送、通信、情報処理サービスの売上高合計であると定義している。

もっともらしい定義だが、しかし四%という比率は、一九八〇年代後半からまったく変わっていない。だが八〇年代後半と言えば、まだワールド・ワイド・ウェブが出現していない時期である。これはどう考えてもおかしい。公式統計からは、今日の経済で現に生み出されている多くの価値がすっぽり抜け落ちていると言わざるを得ない。

改めて言うまでもなく、多くの国が技術革新を通じて労働を資本財で置き換えてきた。たとえば一九世紀半ばには、農業労働力人口のまるまる三〇%が自動脱穀機に置き換えられている。

高学歴高スキル労働者と低学歴低スキル労働者、資本家と労働者の間の格差拡大をはるかに上回る変化が、所得の最上位層で起きている。前章で指摘したとおり、二〇〇二~〇七年には、所得上位一%がアメリカの国民所得の増加分のうち三分の二を吸い上げた。

彼らはどういう人たちなのだろうか。けっして全員がウォール街に生息しているわけではない。

いや実際は、シカゴ大学のスティーブ・カプランの調査によれば、その大半が金融業界とは関係がない。アメリカで所得上位一%に属すのは、メディア、エンターテイメント、スポーツ、法曹界のスターか、でなければ起業家、あるいは大企業のエグゼクティブといった人たちである

上位一%がスターだとしたら、さらにその上にはスーパースターがいる。上位一%がアメリカの所得の約一九%を占めるのに対し、その上位一%(つまり全体からすれば最上位〇・〇一%)は、二〇〇七年に六%を占めた。一九九五年には三%だったのだから、一二年間で二倍になったわけである。

さらに遡って、第二次世界大戦から一九七〇年代後半までの時期の最上位〇・〇一%と比べると、じつに六倍近い。別の言い方をするなら、最上位〇・〇一%が上位一%の所得に占める比率は、上位一%がアメリカ経済全体に占める比率よりも大きい。少人数のデータを扱う際には匿名性を保ちにくくなるため、最上位〇・〇一%以上の層の所得水準について信頼できるデータを収集することはむずかしい。

デジタル技術の向上に伴い、デジタル化されたコンテンツは一段と魅力的になり、ナンバーワンの収入が爆発的に拡大する一方で、セカンドベストは到底太刀打ちできなくなるという勝者総取りの傾向が強まっている。

音楽であれ、スポーツであれ、他の分野であれ、スーパースターは世界中で消費される。彼らの収入は一九八〇年代から右肩上がりで増え続けているのだ。

その一方で、コンテンツ産業やエンターテイメント産業では、スーパースターになれなかった個人や企業の運命はきびしい。急成長中のアプリ業界では、一〇〇万ドル以上を売り上げるソフトウェア開発企業はわずか四%に過ぎない。四分の三は、年間売上高がわずか三万ドル以下にとどまっている。

一握りの作家、俳優、プロスポーツ選手といった人たちの年収が一〇〇万ドルを超える一方で、その他大勢は生計を立てることさえ覚束ない。オリンピックで金メダルをとった選手はその後一〇〇万ドル稼ぐ道が拓ける可能性もあるが、銀メダルでは、まして一〇位や一五位では、あっさり忘れ去られてしまう。

スーパースター経済は、経済学者のシャーウィン・ローゼンが一九八一年に初めて論じた。多くの市場では、選択権を持つ買い手は最高の品質のモノやサービスを選ぶ。

しかし供給面に制限があったり輸送コストがひどく高くついたりした時代には、最高の売り手といえども、グローバル市場のごく一部の買い手しか満足させることはできない(たとえば一九世紀には、最高の歌い手や最高の俳優にできるのは大きな劇場を満員にすることがせいぜいであり、これでは年間に動員できる観客の数は数千人程度に過ぎない)。

すると、少々劣った売り手でもそれなりのシェアを確保することができる。だが、デジタル技術の進歩によって複製が安く容易にできるようになり、ほとんどコストをかけずにそれをグローバルに提供できるようになったらどうだろうか。突如としてベスト・パフォーマーが市場を支配し、セカンドベストはお呼びでなくなる。市場のデジタル化が進むにつれ、勝者総取り経済が幅を利かすようになる

明日、会社がアンドロイドを投入するとしよう。このアンドロイドは、人間の労働者にできることはすべてこなせるとする。アンドロイドの製造も含めて、である。アンドロイドは無限に製造可能であり、その単価はきわめて安く、やがては事実上ゼロになる。

(略)まず、生産性と生産量の両方が急上昇する。アンドロイドは農場でも工場でも働くので、食品も工業製品も大幅に安く生産できるようになる。競争市場では、彼らの生産するモノの値段は、原料とほぼ同じ水準まで下がるはずだ。モノは安く大量に生産されるようになるだけでなく、多種多様にもなるだろう。要するに、アンドロイドは驚くべきゆたかさをもたらす。

と同時に、労働力人口に激震をもたらす。経済合理性をすこしでも備えた雇用主なら、まちがいなくアンドロイドを選ぶだろう。

(略)経済における価値を独占し、消費のすべてを担うのは、アンドロイドをはじめとする資本財の所有者か、天然資源の所有者になる。資本や資源を持たない者は労働しか売るものがないが、その労働にはもはや価値がない。  この思考実験には、「技術の進歩は広範な雇用創出を伴う」という法則が成り立たない現実が冷酷に反映されている

ではここで、前提条件を少しだけ変えてみよう。アンドロイドは人間の労働者にできることをすべてこなせるが、一つだけ例外があるとする。

その例外は、たとえば料理だとしよう。すると、シナリオは全体としては変わらないが、人間のコックは働いていることになる。しかしコック市場の競争は熾烈になり、企業はひどく低い賃金でコックを雇えるようになるだろう。人々がレストランで食事をする限り、経済において料理に費やされる時間の合計は変わらない。しかしコックに払われる賃金は大幅に下がる

唯一の例外は、腕がよく評判が高く、代わりの効かないスーパースター・コックだ。スーパースター・コックは相変わらず高い報酬を要求できるが、並みのコックはそうはいかない。となればアンドロイドは、ゆたかさをもたらすと同時に、賃金格差を急拡大させることになる

長期的に見れば、自動化の影響を最も強く受けるのは、おそらくアメリカなど先進国の労働者ではなく、現時点で安価な労働力を強みにしている発展途上国だろう。ロボットを導入するなどして自動化を推進し、方程式から労働コストの大半を取り除くことができれば、安い人件費という競争優位はあらかた消えてしまう。この動きはすでに始まっている。

フォックスコンの創業者テリー・ゴウは、人間に代えて数十万台のロボットを導入した。しかも今後数年にわたり、ロボットをもっと増やすつもりらしい。ゴウが最初にロボットを導入したのは中国と台湾の工場だが、業界全体に自動化が浸透すれば、人件費の安い国に生産拠点を置く意味はあまりなくなる。それでもサプライヤーが密集して部品の調達がしやすいなど、ロジスティックス上の利点は活かせるかもしれない。しかしいずれは輸送時間の一段の短縮によってそうした利点も打ち消され、顧客、技術者、教育水準の高い労働者に近い立地、さらには法の支配が整備された立地が有利になると考えられる。

となれば、製造業がアメリカに回帰することも大いにあり得るだろう。現にロッド・ブルックスなど多くの起業家がそう考えている。

将来的には人間の仕事は、情報だけを相手にする仕事、すなわちデスクの上だけでこなせるような仕事よりも、そうでない仕事、すなわち現実の世界を動き回り、いろいろな人と接する仕事の比重が高まるだろう。コンピュータが多くの認知タスクをこなせるようになったといっても、やはりそうした仕事は人間に一日の長がある。

こうした事例を見るにつけ、コック、庭師、修理工、大工、歯医者、介護士などの仕事が近い将来マシンに置き換えられる心配はないと考えられる。これらの仕事はどれも多くの知覚・運動能力を要するうえ、その多くに広い枠でのパターン認識と複雑なコミュニケーションも求められるからだ。これらの職業は必ずしも報酬がいいとは言えないが、機械との対決を迫られる懸念は、当面はない。

ただし、人間との競争が熾烈になる可能性はある。労働市場の二極化が進み、中間層の空洞化が顕著になれば、中間的なスキルしか必要としない知的労働に従事していた人たちは、スキルも賃金も低い職業に移行せざるを得ない。たとえば診療報酬請求事務が自動化されたら、その仕事をしていた人たちは在宅介護の職を探しはじめるかもしれない。

そうなったら賃金に下押し圧力がかかるだろうし、競争が激化して就労はむずかしくなるだろう。こうしたわけだから、介護自体は自動化とは当面無縁だとしても、この職業がデジタル化の影響と無縁だとは言えない。

資本主義経済において、この先最も変化する可能性が高く、かつ重大な問題となりそうな要素が一つある。大方の人は労働を提供し、その対価で消費していることだ。つまり大半の人は労働者であって、資本家ではない。だが私たちのアンドロイド思考実験が正しいとすれば、長きにわたって続いてきた労働とお金の交換は成り立たなくなる可能性がある。

では、ベーシック・インカムを復活させるべきだろうか。たぶん──だが私たちが第一に選択するのは、ベーシック・インカムではない。その理由は、冒頭に引用したヴォルテールの名言の中にある。「労働は、人間を人生の三悪、すなわち退屈、悪徳、困窮から救ってくれる」。

所得保障は困窮から救ってくれるかもしれないが、他の二つの悪には効き目がない。さまざまな研究やデータを検討した末に、私たちはヴォルテールが正しいと確信するにいたった。

人間にとって働くことになぜとりわけ大きな意味があるかと言えば、お金を稼ぐ手段だからというだけでなく、もっと価値のある多くのものを手にする手段だからである。もっと価値のあるものとは、たとえばプライドや自信であり、仲間であり、情熱を注ぐ対象であり、健全な価値観であり、地位や尊厳である。

・国営の投信ファンドを設立し、持ち分を広く国民に分配する。譲渡不可にするとよいだろう。こうすればリターンが一極集中することなく、すべての国民に配当が行き渡る。

・税、規制、コンテスト、競技会などさまざまなインセンティブを設けて、人間の労働にとって代わるのではなく人間の能力をよりよく生かせるような、また人間の労働を減らすのではなく新しいモノやサービスの開発をめざすような技術革新を奨励する。

・民主的な手続きを経て「社会に利益をもたらす仕事」を定め、そうした仕事を実行した人に非営利組織などから報酬を払うしくみを作る

・人間だけでなされる特別な仕事を評価し、助成する。たとえば乳幼児の世話、死期を迎えた人の介護などがこれに該当する。

・「オーガニック」表示などと同じような具合に「メイド・バイ・ヒューマン」表示を行う。また、カーボンオフセットを励行する企業を表彰するように、人間の雇用に積極的な企業を表彰する。消費者が人間の労働者の雇用増を本気で望んでいるなら、こうした表示や表彰にはきっと効果があるはずだ。

・衣食住など必需品についてバウチャー(無料引換券)を配り、極度の貧困を撲滅する。ただし、それ以上の所得を獲得することについては市場に委ねる。

・大恐慌当時の失業対策として行われた市民保全部隊(若年労働者がキャンプ生活を送りながら国有林の保全、自然保護区の整備、河川の浄化などに従事した)に倣い、政府が環境浄化、インフラ建設などの公共事業を企画し、雇用を増やす。また、福祉給付に労働を義務づける「ワークフェア」を強化する

とはいえ長期的にほんとうに問題になるのは、経済を成長させることではない。機械がこなす仕事がどんどん増えてきたら、人間は仕事以外のことに使える時間が増える。娯楽やレジャーばかりでなく、発明や発見、創造や生産、そして愛や友情や助け合いといった、より深い満足が得られることに時間を使えるようになる。こうした価値を測定する尺度はまだない──いや、これからもずっとないのかもしれない

人間にできることが増えれば増えるほど、制約が少なくなればなるほど、人間の価値観がますます重要になってくる。情報の流れは自由にすべきか、規制すべきか。ゆたかさを広く共有し活気ある共同体を形成するにはどうしたらいいか。イノベーションの創出に対してどのようなインセンティブを設定すべきか。人生の最もよきものを発見し、創造し、享受する機会をすべての人に行き渡らせることができるか……。

セカンド・マシン・エイジには、何をほんとうに欲するのか、何に価値を置くかについて、個人としても社会としても深く考えることが求められる。私たちの世代は、世界を大きく変える可能性を受け継いだ。熟考と配慮の末に選択を行うなら、未来は希望を持てるものになるだろう。

運命を決めるのはテクノロジーではない、私たちだ。

ここに答えがある。

白眉は最後に指摘されている「解決策」。

人間によって作られていることを示す「メイド・バイ・ヒューマン」という概念は、確かに現実のものになりそう……。

地方に住んでいる人間として、何ができるか考えたいですね。素晴らしい一冊だったので、また別に論考を書きます。

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