賛否両論?イケダハヤトが物申す

「文体」こそブロガーの「味」であり、成功に必要な要素である

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我らがスーパー編集者、佐藤慶一氏がすばらしい指摘をしています。

Webメディアはスマホ時代にどのようにブランド構築していけばよいのだろうか? – メディアの輪郭

 

ブランディングが難しくなっている

重要な話なので引用。

それぞれの媒体の話を聞く中で、特にスマートフォン時代のメディアのブランディング(の構築と認知向上)については課題を抱えているようでした。

どういうことか。たとえば、Web時代にはポータルサイトにメディアの記事を配信するようなことがふつうになりました。同様にスマホ時代にはニュースアプリへの配信が盛んです。

そういったときに、そのメディアの記事というよりは、配信先のポータルサイトやニュースアプリの記事だと勘違いすることがあるそうです。となると、記事をつくったもとのメディアのブランドではなく、配信先のブランドにつながるのかもしれません。

また、検索サイトやソーシャルメディアが普及したこともあり、パッケージではなく、1本1本の記事がバラバラに読まれるようになっています。タイトルやサムネイルに惹かれて読まれた記事がどのメディアのものなのか気付くことはむずかしいという状況です。

で、ブランディングの手法について、佐藤氏は「ロゴ露出」「連載/特集」「場づくり」の3つのアプローチを指摘しています。

 

文体というのはとてもとても大切なのです。

 

みんな言ってることは同じなんです。

ぼくは大量に本を読むので強く強く実感するんですが、結局、みんな言ってることは同じだったりするんです。古今東西老若男女、後世に残る本を出しているような偉い人は、みーんな同じことを言ってます。

パッと思いつくところだと、仏陀と為末大さんは、かなり近しいことを語っていると思います。仏陀系だと故・池田晶子氏も同じこと言ってるなぁ、と感じます。下にリストアップしましたが、ぼくが読む本は、好みの関係でだいたい仏陀に行き着きます。家入さんも仏陀系です。

ぼくを含め、世の中の人々が同じことを言っているなかで、いったい何が相違点なのかといえば、極論、「文体」でしかないと思うんですよ。仏陀と池田晶子と為末大と家入一真の相違点は、「文体」なんです。言っていることは同じですが、文体が違うので違ったように見えるんです。

IT系のブロガー的な世界でいえば、みんなiPhoneとかMacについて書くわけじゃないですか。どんだけApple好きなんだ、と。ぼくの目には、ガジェット系ブログはどこも同じようにしか見えません。

でも、あれは文体の工夫次第で経血できると思うんです。画期的な文体を採用したガジェットメディアが出てきても良さそうなものですが、どうにも画一的なんですよねぇ。

 

文体を磨け

文体は、その著者の「味」そのものです。言い換えると、文体が磨かれていないライターの文章は、味がなくてつまらないんです。

「文体」は多義的な言葉です。

「ですます」「である」のどちらを使うか、という分かりやすい話にはじまり、画像や見出し、句読点、脚注、目次の使い方、行間やフォント、扱うテーマ、発信するメディアも「文体」を構成する要素です。たとえば、「ブログを使って発信する」ということそれ自体が、ぼくの「文体」なんですね。narumiさんは「次回予告」を最後に挿入していますが、あれも優れた文体だと思います。

 

文体を磨くもっとも簡単な方法は、ユーモアに頼ることです。

切込隊長はその点うまいですよね。ついでにいうと、誰かを攻撃するという文体も、読者にとっては粘着力のある魅力として映ります(特にネットでは)。切込隊長のブログが人気を博しているのは、まさにこの攻撃性とユーモアを兼ね備えているからだと思われます。ぼくは大嫌いなやり方ですけどね。

 

坂爪圭吾さんの記事とか、あまりにも文体が独特なので、仮に彼のブログ以外の場所で読んだとしても「これは坂爪さんの記事だ」とわかるんですよね。

同様に、ちきりんさんなんかも「そんじゃーね!」という一言で、「あぁ、これはちきりんの文章だ」とわかるはずです。DJあおいさんも独特で、句読点を使わず「以上 DJあおいでした」で締める、強烈な文体で執筆なさっています。

また違う例では、「イラスト」を織り交ぜるタイプの作家も、それ自体が強烈な文体として機能します。たとえばヒビノケイコさんの記事なんかは、それこそ2歳児が見ても「これケイコさんの記事だ」と一瞬でわかるのです(うちの2歳の娘が、一瞬で判別していました)。

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というわけで、個人ブロガーレベルでいえば「粘着質な魅力がある文体を生み出すこと」が、スマホ時代におけるブランディングのわかりやすい「正解」です。といっても、物書きという職業は、結局「文体」に行き着くので、文体の大切さは夏目漱石以来(万葉集以来?)変わってはいないとも思います。

やや極論ですが、読者は「文章の中身」ではなく、実は「文体」を読んでいるんです。あなたがこの記事を読んでいるとしたら、あなたは今、ぼくの文章の中身ではなく、実は「文体」を楽しんでいます。そう、こういうぼくの「文体」が、あなたに恐らく響いているんです。

感覚的な話ではありますが、文章を本気で書いてみたり、本を読みまくったりすると、きっとそのことがよくわかると思います。

 

文体は感染する:ブランディングはやりやすくなっている

そして、この時代においては、文体は読者に感染し、流布していきます。たとえば、ちきりんさんの「そんじゃーね!」はこんな感じに使われています。

こういう時代だからこそ、「感染する文体」の模索は大切なわけです。ぼくの「まだ東京で消耗してるの?」も感染しやすいコピーで気に入っております。話の前提としては「ブランディングが難しくなっている」ということですが、感染・拡散効果を考えると、逆にブランディングはやりやすくなっていることも指摘できますね。

 

ブログメディア全体の文体性を。イラストは便利

上記は個人ライターレベルの話ですが、では、集団で執筆・編集するメディアにおいては、「文体」をどう考えればいいのでしょうか。

実のところ、あんまりこの点については答えらしきものを見いだせておらず、やはり言えることがあるとすれば「メディア全体の文体をしっかりデザインする」というあたりでしょうか。TABI LABOとかは「世界とつながる、MOVEする – TABI LABO」なんてコピーを必ず記事中に入れてますね。つまらない答えですが、案外、こういうレベルでいいんじゃないかとも思っています。

もっとできるとしたら、あとは画像、動画による文体表現でしょう。すべての記事の画像・動画に、統一した表現を入れ込めば、やはり「どこで読んでも、このメディアだとわかる」状況がつくれます。イラストは使い勝手がいいでしょうね。これからはイラストのクリエイティブで攻めるメディアも増えていくでしょう。

 

ただ、ぼくがワクワクするのは、個人の文体性の追求です。集団で執筆・編集するメディアは、ウェブにおいては文体性を出すのはそもそもかなり難しく、自由度も低いように感じます。

 

ぼくのブログはまだまだ文体が磨かれていません。ユーモアに頼るのは「逃げ」な気がするのでほどほどにしつつ、もっと革新的な何かを取り入れたいと考えている今日この頃です。

たとえばブログのなかにバーチャルリアリティを取り入れる、なんて方向性はすごく面白いと思っていたりしますが、まったく手をつけられていません…。今年も文体研究の道は続きます。

そんじゃーね!

 

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