NPOを起業しようと考えている方が漏らしていた名言。





チャレンジしない人ほど、他人の失敗が好き



彼の名前をAさんとしましょう。彼は某有名大企業に入社したものの、会社での仕事・生活に「違和感を覚えて」1年足らずで退職します。逃げるように退職したので、上司からは「お前、うちの会社に3年もいられないなんて、それじゃあどこにいってもうまくいかないぞ」と卑下されることもあったとか。




まぁ確かに、端から見たら社会不適合者といっても過言でもないでしょう。ぼくも似たようなものですから、それはよく分かります。Aさんは熱い問題意識があり、今は起業のために奔走しているのですが、やっぱり社会からの無理解に悩むことも多いようです。

そんな彼が漏らしていたのが「チャレンジしない人ほど、他人の失敗が好き」という言葉。いやー、これ、ホントにそうですよね。




チャレンジしない人生を歩んでいる人は、誰かが何かのチャレンジをして、こっぴどく失敗すると「それ見たことか!だからやめとけと言ったんだ」と哀れみます。

その言葉は表面的には哀れみですが、間違いなく快楽が伴っています。相手の失敗を見て、嬉しい気持ちが芽生えているんですね。他人の不幸は蜜の味。その薄汚い快楽を覆い隠すために、「だから忠告したじゃないか」という、なんとも無効な、過去形の思いやりを示す。失敗した人は、この種の思いやりに直面して、頭をうなだれることになります。

そうして思いやりある人々は、「君はまだ未熟だから、失敗も当然だ。今度はうまくやるように」とその場を取り繕います。かくいう彼らは、何のチャレンジもせず、自分の選択の正しさに固執し、守りに入っているわけです。彼らは「チャレンジなんてものは、愚か者がやることだ」という固有の確信に満足し、自分はここにいてもいいんだ、と安住します。




彼らが醜いのは、「他人の不幸は蜜の味」という自分の心理に嘘を付いているからです。しかもほとんど無自覚に、それをやってのけます。それ見たことか!と叫ぶその口の端には、仄かに笑みが浮かんでいるというのに。あぁ、いやですね。




「チャレンジしない人ほど、他人の失敗が好き」という命題は、「チャレンジしない人ほど、他人の成功が嫌い」、「チャレンジする人ほど、他人の成功を喜ぶ」などなど、裏返してみても真でしょうね。

ぼくはブログ運営をしていますが、変な話、「失敗の回数」こそが結果にもっとも結びつくKPIだと感じています。多くの失敗をすれば、それだけ大きな成功も得られるのです。ブログ運営は不確実性が高い領域なので、日々新しい実験を行っていけば、他の誰も到達していない地点に、たまたまたどり着けることがあります。




かぎりある人生において、自分の身を置くなら、「チャレンジと失敗を歓迎する」場所に足を留めるべきでしょう。チャレンジも失敗も忌避する空間では、周りに合わせるばかりで、やるべきだと信じることも、できなくなってしまいますから。