ビブリオバトルのチャンプ本に輝いた一冊。これはたしかに面白い!圧倒的でした。読書メモをご共有。





現代のポエジーを探る



・骨盤を末期がんに冒された患者の、モルヒネ投与による幻覚から生まれる「力士が!力士が、何故どこまで力士がやってくる」という痛々しい悲鳴。

・「大きなお魚かとおもったら、あんたは痴漢ね(元・魚屋老婆)」

・耳の遠い元・電気屋主人は「オムツのなかが犯罪でいっぱいだ」とひとりごちながら、自分を日本じゅう流れ旅する無頼者であると信じて、夢を見続けている。(中略) なんと、彼のオムツのなかにはギャングが集結していて、麻薬売買を行っているので、オムツの中に盗聴器を仕掛けているところだというのだ。嫌な予感がして、直崎さんがオムツをあけてみれば、中には三日間も出ていなかった便があふれかえり、補聴器がそのなかにしっかり埋まっていた……。

・「区のお世話になっても、私と、子どもは、運命が違うので、外の人同様には、うけられないで、かえって、苦しまねばならぬので、それも出来ない(餓死した池袋母子の日記)」

・「綱 よごすまじく首拭く 寒の水(死刑囚の句)」

・歌謡曲の現場において、玉置宏はまさしくMC=祭司である。イントロの数小節がオーケストラによって演奏される、わずか20〜30秒のあいだに、玉置宏は物語の予兆ともいうべき手がかりを聴衆に分け与える。

・ある仕事で知り合ったカメラマンが元バリバリの暴走族で、彼と飲んだときに聞いた話が、たしかきっかけだった。彼の話によれば、暴走族が特講服に刺繍を入れるとき、いちばんやっちゃいけないこと、それは「他人のフレーズをパクること」だという。

・暴走族が世を席巻した80年代、背中の刺繍は「憂国」「極悪非道」など、短い単語に限られていた。それが90年代に入るころから、どんどん長く「演歌の詩のように」なっていった。

・便所と病室にいちばん似合うのがみつをの書だと、多くの人が知っている。立派な掛け軸になって茶室に収まるのではなく、糞尿や芳香剤や消毒薬の匂いがしみついた場所に。そしてだれもがひとりになって自分と向き合わざるをえない場所に。

・とにかく「まず金を稼がなきゃ」という僕の態度が非常に異端であったことは確かで、他の詩人はみんな「すばらしい詩を書きたい」「後世に名を残す詩人になりたい」と言って詩の勉強をしていた。僕は詩の勉強というのはほとんどしてなくて、目先の原稿料を一生懸命稼ぐという態度でやっていたのが、逆に普通の人に通じたのかもしれません(谷川俊太郎)

・圧程度若い頃は自分で感じたこと、考えたことを表現するという意識で書いてましたけど、あるところから自分なんてそんなに大したもんじゃないのに自己表現したってたかが知れてるじゃんと思うようになった。それよりも日本語という巨大な総体、地理的にも歴史的にも大変に豊かなところへ、自分が巫女みたいな形で入り、言葉を拾い出して組み合わせると考えた方がはるかに豊かな詩を産み出せるというふうに意識が変わったんです(谷川俊太郎)

・ジャーナリズムの決まり文句で「谷川さんのこの詩のメッセージは何ですか」という質問がよくあるんですが、あれはカッとしますね。詩はメッセージじゃない。メッセージを伝えたいのなら簡潔に散文で言いますよ。その目から見ると、相田さんの詩には人生に関するメッセージがはっきりとあるんですよね。僕は詩というのはメッセージじゃなくて言葉の存在感だと思っている。目の前にあるコップと同じくらい確実にそこに言葉を存在させたい、しかもそれが美しい言葉でありたいというのが基本的な考えです(谷川俊太郎)


読書メモじゃこの本の魅力は伝わらないですねー。また別途、紹介記事をどこかで書きたいと思います。笑えるものから、深刻なものまで、様々な側面で言葉の楽しさを味わえる名著です。個人的には、死刑囚の方の詩が重くて刺さりました。