藤野英人さんの連載に良いこと書いてあります。


いたずらが過ぎたバイトやブラック企業を「黒」と決めつけて叩くよりも、本当の悪を見分ける力を身につけよう





バカを許す社会を



 いやこんな愚か者をかばいたいと思っているわけではありません。バンズに寝るなんてバカにもほどがある。

ただ、そのようなバカというかDQNも社会に存在し、共存します。なんというかバカを愛でるくらいの度量で、社会全体で包むような余裕を、いつからこの国は失ってしまったのでしょうか。

 バカの隙間というか、ハンドルの遊びみたいなものがないと、非常に息苦しい社会になってしまうし、事実ずいぶん息苦しくなっているように私は感じています。

いたずらが過ぎたバイトやブラック企業を「黒」と決めつけて叩くよりも、本当の悪を見分ける力を身につけよう



「バカ」に対しては二つの態度がありえます。

ひとつは「バカはあってはならないものだから、教育や罰を与えて、社会から排除・根絶していくべきだ」という考え方。

もうひとつは「バカはどうあっても存在するものだから、それを排除・根絶するのではなく、ありのまま包摂し、正しい方向に育てていく」という考え方です。

明言はしていませんが、藤野さんの態度は、後者に属すると考えられます。ぼくもこの考え方に与します。




モラトリアムは消失している



以前に比べると、モラトリアムは明らかに消失しています。

自分が学生の頃にツイッターがあったら、確実に炎上していた」と言える人は、けっこう多いのではないでしょうか。ぼくもここではとても書けないような愚行を、まぁ、人並みにやってきた人間です。幸い、社会はぼくをそのまま包摂してくれ、制裁を与えることなく育つことを許容してくれました。

ぼくを含めて、昔から若者は愚かなものです。年を取っても愚かな人も多いです。これまでの社会は、そういう「愚かさ」を暗黙的に受け入れてきました。

しかしながら、ツイッターをはじめとするテクノロジーがそうした「愚かさ」を可視化したことで、ぼくらは愚か者を包摂する余裕を失いつつあります。人によっては、自分の過去の愚かさを忘れて、今の愚か者たちに石を投げつけている人もいるでしょう。自分はたまたま「見つからなかった」だけなのに。




テクノロジーはここにおいて、悪者だとは考えません。あくまでツイッターは愚行を浮き彫りにしただけで、それに対してどう向き合うかは、ぼくら一人ひとりの問題です

この日本社会に、愚行を許容する度量がある(=モラトリアムが保たれている)社会であれば、冷蔵庫にバカな若者が入ったところで、「ホント、若者ってバカだなぁ笑」と一笑して終わっていたでしょう。実際、ぼくはそこまで大問題にする理由がよくわかりません。

しかし、ぼくらの社会は、そういう愚行をまったく許す度量がありません。自分が直接的な被害を被ったわけでもないのに「許されないことだ!」と騒ぎ立て、正義の鉄槌を下そうとします。そうして、ひとりの若者が社会的な排除を受けるのです。





人間はみんなバカです。ぼくも人にはいえない愚行をたくさんして参りました。それでも社会が包摂してくれ、ここまで大過なく生きることができました。だったら、次の世代のバカも許容するのが真っ当な生き方といえるでしょう。

別に実害があるわけじゃないですし、基本的にバカはバカでほっとけばいいんじゃないですかね。実際、ツイッターが可視化するまではそうしてきたわけですし。

そもそも、日本には刑事司法制度がありますから、ぼくら市民が変に正義感を振るうのもおかしな話です。ぼくは私刑を容認したくありません。




日本人が余裕を取り戻し、バカをバカのまま包摂し、育てていく社会になることを願っています。排除するのは、簡単ですから。




関連本はこちら。学術的な色合いが濃い作品ですが、モラトリアムの消失を描いた若者論としてはピカイチです。