先の記事にたくさん反響を頂いています。みなさんもぜひツイッターなどでご意見をください。

おバカな従業員は「安さ」の代償






おバカな若者」たちは、「誰のせい」で現れた?



補足しますと、ぼくの問題意識は「ああいうおバカな人を、一笑に付したり、『けしからん!』とだけのたまって排除するのは無責任ではないか」という点にあります。

言い換えれば、ぼくら一人ひとりが、ああいう愚行の原因になっているのではないか、と問題提起したいのです。




先の記事では、ぼくらが低単価のサービスを求めていることが、ああいった愚行の原因の一つであることを指摘しました。

「ほっともっと」の弁当が、今よりも単価も利益率が高かったとしたら、従業員も「まともな人」を採用できるでしょう。低単価の労働が「常識を知らない若者を雇ってしまうこと」につながり、また、そうした若者に「常識を身に付けてもらうこと」を困難にします。




原因は低賃金労働以外にも、様々なものが考えられるでしょう。彼らは「誰のせい」、または「何のせい」で登場したのでしょうか?




ひとつには、「親の責任」があるのでしょう。ツイッターではこの意見を多く頂きました。

ただ、貧困や虐待、そもそも親がいない児童養護施設の子どもたちなど、親が子どもに対して十分な教育を提供できないケースは、往々にしてあります。親の責任だけにすべてをなすり付けるのは、傲慢で鈍感な態度です。

分かりやすく言いましょう。

件のおバカな炎上事件を起こした若者たちを、「親の教育が悪い!」と非難するとします。では、もしも、その若者が何らかの事情(たとえば死別)で親からまともな教育を受けてこられなかったとしたら、それは誰の責任になるのでしょう。




または、学校に責任がある、というアプローチも考えやすいです。「学校で最低限のマナーを教えないから、ああいう連中が現れるんだ!」みたいな批判。

この批判の有効性の弱さは、まぁ、少し考えればわかるでしょう。「学校がすべての児童に社会常識を教えてくれる」なんて思うのは、理想主義もいいところです。




もひとつ、地域社会に責任がある、という考え方。「昔は地域の怖いおじさんが、バカな若者を叱っていたもんだ」云々。

まぁ、論ずるまでもなく、これもまた有効性はありません。地域社会が若者たちを教育する機能は、特に都心部では衰えきっています。隣りに誰が住んでいるかも分からないのが一般的な時代において、地域社会が常識や倫理観の教育を子どもたちに施すことは、現実的ではないでしょう。




親も、学校も、地域社会も教育してくれない。そのまま社会に出た「おバカな若者」は、ああいった炎上を起こす。そうして社会からペナルティを受け、排除されていく。

ぼくは、この構造は非常に不健全だと思います。誰かが、教育コストを負担しないといけません。救われないじゃないですか。




社会教育のコストが企業にしわ寄せされている



現実的には、企業が教育コストを負担することになるのでしょう。

マクドナルドには従業員向けのソーシャルメディアガイドラインがあると聞きます。「ほっともっと」もこれからバイトを雇う時には「食べ物を粗末にしてはいけない」「ふざけて冷蔵庫に入ってはいけない」といった教育を行うようになるのでしょう。社会教育の機能が、どんどん企業にしわ寄せされていくのです

関連して、ツイッターで面白い言及をいただきました。まぁ、こういう世界も近いでしょうね…。









「ぼくら」のせい





さて、誰のせいで現れた?という問いについてですが、ぼくは「ぼくら市民、一人ひとりのせいで現れた」と考えます。

あなたもぼくも、ああいうおバカな若者の登場に対する責任を、微量ながらも等しく負っているのです。彼らはぼくらの生活の、副産物のようなものです。不十分な教育、モラルの荒廃について、ぼくらは誰しも責任があります。

そんなわけで、「最近の若者はバカだ!食べ物を大切にせよ!」と他人事を決め込むのは、無責任な態度というわけです。無論、嗤って終わりにするのも、無責任です。




ではお前は何をしているんだ?と聞かれるでしょう。ぼくは採算度外視で、NPOや学生の支援を行っております。先月、先々月は80時間を無償労働に費やしました。業務時間の33%程度ですね。

ぼくの支援は中間支援なので、直接的に「おバカな若者」を減らすことに貢献しているわけではありませんが、若年層の教育を行う団体の手伝いもしていたりするので、間接的には貢献できているでしょう。




ぼくは「バカな若者の自己責任だ!」と叫ぶ人たち違って、解決のために微力ながら行動しています。だって、社会に対して責任があると思っていますから。「バカな若者の自己責任だ!」と叫ぶ人たちは、ぜひとも「誰かのせい」にしている自分に気づいていただきたいですね。

…と、あえて、免罪符のように書かせていただきました。みなさんもぜひ、社会の問題に対して、他人事を決め込まず、できる範囲で解決に関与してみてくださいませ。何か一緒にできそうなことがあれば、ぜひ協力させてください。




関連本は自著。昨年11月に出版した「年収150万円〜」本では、そういった社会への関与の仕方について書いています。