マツコ・デラックス氏と池田清彦氏の対談本、相変わらずエッジィで面白いです。印象的な箇所を抜粋してご共有。




身障者はセックスの話をしてはいけない?



マツコ;障害者といえば、ある食事会で、身障者の人に「ねえ、セックスとかってどうしてるに?」とアタシの友人が尋ねたら、支援団体の人たちが怒って、その友人はすごく攻撃されちゃったんだって。

でもさ、じゃあ何?身障者の人とはセックスの話をしちゃだめなの?ということでしょ。セックスの話もさせないというのは、身障者の人を「支援」しながら、実はものすごく差別しているという感じが垣間見えるでしょ。

だって、その身障者当人は「セックスするのはやっぱりなかなか簡単ではないから、同情を買う作戦を取るわけよ(笑)」とか言っているんですよ。そういう話を普通にしているのに、まわりにいる「支援者」たちが、「そんな話をさせてひどい」とか言うわけよ。それがもう、気持ちわるいんだよね。


マツコさんはここに「差別」の構造を見抜きます。ここにおいては、厄介なことに、差別をしているのは他でもない当事者を「支援」している人なのです。

さらにいえば、差別的な認識を持つ支援者たちは、自身の理想を相手に押しつけているともいえます。

「そんな話をさせてひどい」と語る支援者たちは、さしずめ「障害者はセックスなどしない、"美しい存在"」だと考えているか、「"弱者"である障害者にセックスの話をさせるなんて可哀想だ」と考えているのでしょう。

「美しい存在」だろうが「弱者」だろうが、それは支援者が勝手に創り出した、ある種の幻想です。一人の人間を簡単に理解できると思い込んでいる、なんとも傲慢な態度です。




この種の差別構造は、障害者の性の問題に限らず、至るところで見受けられます。




身近なところでは、たとえば「部下の面倒見がいい上司」。彼・彼女は、「未熟な存在」である部下の面倒を見ます。そこに自分の役割を見いだしているわけです。

この上司は、もしも部下が「未熟な存在」であることを超えようとしたとき(たとえば「海外赴任がしたい」「起業したい」と申し出たとき)、やんわりと、しかし強烈に反発するでしょう。いわく「お前にはまだ早い。社会人としての基礎も身についていないじゃないか」「私のもとでしばらく経験を積んでおくのがよい。いきなり飛び出してもうまくいかないぞ」。

「部下の面倒見がいい上司」は、自分が相手をコントロールしようとしていることに気づきません。また、面倒を見られた部下の方も、なまじ中途半端に恩があるため、アドバイスを無下にすることが困難です。そうして、部下は上司に絡めとられていきます。無論、上司もまた、部下という存在に絡めとられています。




ぼくはNPOの支援に携わっていることもあり、「支援リテラシー」みたいなものは大切だと日々痛感しています。

誰かを支援するというときには、強い自己を持たないと、相手に自分が癒着していく危険があります。支援していたはずなのに、いつの間にか相手に依存している、という恐怖。意外とこれは身近ですよ。




身障者だって、セックスの話はします。未熟な部下だって、優れた能力があります。先日書いた通り、奇妙な振る舞いをする自閉症者にだって、高い知能が備わっていることがあります。

誰かを支援することはすばらしいですが、自分の理解を押しつけないようにしましょう。また、自分が相手に依存していないかどうかを、よく確かめましょう。




マイノリティの支援については、こちらが象徴的です。名著なのでぜひ。






もちろん冒頭で引用したこちらの書籍もおすすめ。マツコデラックス、超熱い。