先日、慎泰俊さんと西田亮介さんを招いたトークイベントで話題になった「コツコツ頑張ること」という話を書いてみます。




成功している人はコツコツ努力している



ちょうと田村耕太郎さんがこんなツイートをしていました。







これ、すごいわかります。超絶エリートと言っても過言ではない慎さんも「寡黙でやや内向的な熟慮型の地味な人間」に分類されそうな感じです。




努力は「才能」なのか?



イベントの中で話題になったのはこうした「コツコツとした努力」の話。慎さんは端から見ると信じられないほど、努力を積み重ねています。かくいうぼくも、毎日ひたすら手が痛くなるまで文章を書きまくるという点では、端から見たらかなりの努力家に映るようです。

子育てをしている身として気になるのは、「いかにして人は努力できるようになるのか」というテーマ。ぼくの周囲でも「努力ができなくて、途中で息切れしてしまう」という声をしばしば聞きます。挙げ句は「努力は才能だから、自分にはできないのかもしれない」と諦める人も。





親の愛情




いかにして人間は努力できるようになるのか、慎さんはまず最初に「親の愛情」を挙げていらっしゃいました。

詳しくは聞いていませんが、親が「結果」ではなく「努力」それ自体を賞賛し、評価することで、子どもは自然と努力を楽しめるようになる…というお話だと思われます。テストの結果を評価するのではなく、机に向かって勉強する、そのこと自体を認めるということです。

もちろん、その背景には「努力できないあなた」も認めるという、全人格的な愛が存在していることも大切なのでしょう。「努力できないなんて、おまえはなんてダメな子なんだ!」という叱責を加えるような親の元では、結局努力できない子どもが育ちそうな気がします。




成功体験



続いてちらっとキーワードとして出たのが「成功体験」。適切な目標管理と評価が組合わされば、「努力すれば成功する」ということを、肌感覚で理解することができます。逆に、目標が高すぎたり、評価が伴っていなかったりすると、「自分は努力しても報われないんだ」という諦めを抱くことになります。

ぼくは中高大学と打楽器をやっていたのですが、楽器を通じて、まさに「努力すれば成功する」ということを学び取りました。ありきたりな話ですが、楽器はもうホントに、練習すれば練習するだけ、うまくなるんですね。上手い人はよく練習しており、下手な奴は練習していない、ただそれだけです。いわゆる「1万時間の法則」をぼくはかなり信じています。そんなわけで、ぼくは毎日コツコツとブログ更新に励んでいます。もう1万時間は超えたかな…。




逃避として、好きなことにのめりこむ



自分の経験から言って、ある種の「逃避」として、好きなことにのめりこむ、という経験もまた、努力できる体質を育てることにつながる気がします。

こんなことを書くのも何ですが、ぼくはそれほど親の愛情にも恵まれていたわけではありません。父は起業しているので、ほとんど家におらず、母とも不仲。さらには、三男ということもあり基本的に放置プレーでした。

ぼくにとって音楽や芸術、ゲームやネットは「逃避」だった記憶があります。自分を律することができない弱さが、特定の何かにのめり込むきっかけを与える。のめり込み方が尋常じゃないので、結果的にパフォーマンスが高くなって、努力の価値を知ることができる。

ぼくがハマったものは幸い中毒度が低く、努力が社会的に報われやすいものだったので、不幸中の幸い、努力ができる体質になったのではないかと考えています。




努力できないことはやらない



努力できる人は、言い換えれば、努力できないことに手をつけません。それはある種の諦めです。

たとえばぼくは、スポーツに対しては一切努力しようと思いません。今後の人生、スポーツに打ち込むことはなさそうです。その代わりといっては何ですが、ぼくは誰よりもブログ運営と執筆には時間を注ぐつもりです。

努力ができる人は、かなりの程度、取捨選択を行っています。努力が苦手な人は、この種の取捨選択に手間取っている人ともいえるでしょう。「わたし、この仕事向いていないと思うんだけど、スキルがないし、転職はまだできないんだ…」と語る彼・彼女は、見切りの下手さゆえに、努力ができない人と思われます。人間好き嫌い、向き不向きがありますから、それに従って生きる方がラクです。




好きなことを仕事にしてしまう



最後に、これはハードルが高いことではありますが、そもそも好きなことを仕事にしてしまえば、努力せざるをえません

ぼくはプロブロガーなので、当たり前ですが、ブログを書く努力を続けます。そうしないと食っていけませんから。同様に、プロ野球選手は、それが仕事であるから、努力を続けることになります。「仕事にしてしまう」というのは、努力をせざるをえない環境に自分を追いやる、究極の選択だと考えます。

圧倒的な実績がなくても、たとえば「アイスが好きだから」という理由で「アイス評論家」になった福留さんのように、この時代は名乗ったもん勝ちでもあります。

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たとえば、みなさんが「お香」が好きなら、今のうちに「お香評論家」を名乗りましょう。すると、好きなお香が仕事になるかもしれません。名乗ってしまえば、もうあなたはお香のプロフェッショナル。なんてシンプル。




上記の5点を裏返せば、「努力が苦手な人」は、

・親から努力それ自体を褒められたことがない。ありのままを認めてもらえてこなかった。
・成功体験が欠如している。努力して評価された試しがない。
・逃避として、何かにのめり込むことがなかった。
・努力できないことについて、努力しようとしている
・好きなことはあるが、仕事になっていないので打ち込むことができない


なんて背景があるのではないでしょうか。どこかを改善すれば、努力できる人間に変わるかもしれません。

他にも「努力ができるようになるために必要なこと」があれば、ぜひコメントやツイッターで教えてください。これは面白いテーマだと思います。