為末さんのツイートが個人的に大好きなのです。この方の思索は完全に哲学者のそれですよね。




人生に意味はあるのか












為末さんが指摘している通り、人間はあらゆることに「意味」を見いだしたがる動物です。




たとえば末期がんに冒された人がいるとします。彼・彼女はほとんど無意識的に「"なぜ"私がこんな目に遭わないといけないんだ!」と、まず理由を求めます。しかし、そこには明確な理由、つまり因果関係はありません。

そして、次に「意味」を求めます。自分の身に理不尽なことが起こってしまった。その意味とは?

宗教的な人は「これは神が与えた試練なんだ」なんて意味を見いだしますが、宗教が死んだこの時代においては、結局自分の死に意味を見いだすことができない人が大半なのかもしれません。




ぼく自身は、畢竟、自分の生き死にに意味などないと考えています。長い宇宙の歴史でいえば、こんなぼく風情の命など、誤差にすらならないでしょうから。末期がんに冒されたとしても、そんなことに理由も意味などないのです(実際ここまで割り切れるかどうかは、なってみないとわかりませんが…)。

なぜ強いてそう考えるかといえば、油断すると、自分があらゆるものに意味を求め始めることに気づいているからです。「意味がない」という宙ぶらりんな状態、真空状態に、ぼくは耐えることができないのです。

が、現実を見れば、世の中のすべてのことに意味があるわけではありません。宗教心に回帰するというアプローチもありますが、ぼくは現実主義なので、むしろ「意味がない」という真空状態を認められるようになりたいのです。




宗教心が余裕を生み出すように、「無意味」という真空を受け入れることはすなわち、人間的な余裕にも繋がると思うんですよね。

「悟り」というのは「人生に意味なんてないよ」という、真空状態を受け入れた人間の心理状態を指すのでしょう。これは「諦め」とは厳密には違う感情です。「諦め」は「理不尽なのは"仕方ない"よ」という感情であり、そこには「仕方ない」という意味を見いだしていますから。




と、何だかわかりにくい話をしてしまいました。わかる人にだけわかってもらえばいいや、というつもりで書いてます。すみません。

為末さんのツイートは、思考を深めてくれるのでとってもおすすめですよ。また、ツイートはもちろん、書籍もすばらしいのでこちらもぜひ。