POSSEの坂倉さんのツイートが広がっています。現在2,300RT以上されています。





「自己責任」の果てにあるもの



ぼくは「自己責任」という言葉が嫌いです。それは世界を見誤っているからであり、自分に甘い態度であり、他人を突き放している無責任な態度であるからです。




自己責任という幻想



まず、「自己責任」なんてものは、厳密にいえば存在しません。

ぼくらは社会に生きている以上、必ず他人や環境の影響を受けます。たとえばぼくは、親が裕福だったがために、一流の大学を出て、就職することができました。うちの親がもしもひとり親世帯だったら、ぼくはお金を稼ぐため、中卒で働いていたかもしれません。

たとえば「ホームレス」状態にある人を「自己責任」として切り捨てるのは簡単です。彼らは自分の人生の選択に失敗した結果、ホームレス状態になってしまった。それは自己責任である。やつらは怠けもので、ダメなやつらなんだ。助ける必要などない。…本当にそうなんでしょうか?それは現実を見ていません。

少なくとも、貧困は決して自己責任ではありません。たとえばビッグイシュー・オンラインに掲載されている「若者ホームレス白書」では、

・虐待から逃げるために中卒で親元を飛び出し、職を転々とするも望ましい仕事に就けず、資金が尽きてホームレスになったCさん(27歳)

・1歳のときに児童養護施設に預けられ、中学でいじめに遭い、不登校になり、中卒で社会に出るも、居場所がなくなりホームレスになったBさん(23歳)

といったリアルな事例が紹介されています。これを自己責任だと言えるのは、相当に世の中を見誤っています。




自分の甘さに無自覚



第二に、自己責任論を語る人は、自分に甘い人です。にも関わらず、そのことに無自覚です。説明しましょう。

彼らは「あいつは怠けていた結果、困っているんだ。あいつを救済するのは、本人のためにもよくない」と語ります。さらに「これでは努力が報われない社会になってしまう。怠け者を救っていては、社会が堕落する」とも正義感たっぷりに語るでしょう。

一見合理的な主張ですが、その根底にあるのは「自分の努力が認められないのは許せない」という「甘え」です。自分の努力が他者から肯定されている状態でないと、気持ちわるくて仕方ないんですね。頑張ったんだから誉めてほしい、認めてほしい、という幼児のごとき甘えが見え隠れしています。しかも、彼らは得てして他人の努力は見ようとしません。窮状をもってして、「あいつは怠けてきたから困っているんだ」と一方的に断罪する。

自分に厳しい人はそうした甘えに敏感であるため、「自分の努力が報われるべきだ」とは微塵も思いません。彼らは「努力なんてそう簡単に報われないし、努力自体に価値はない」と考えています。ゆえに、人間の価値を「努力の程度」で推し量ろうともしません。頑張っていようが頑張っていなかろうが、人間の価値は等しいと考えるのです。

自己責任論を語るのはけっこうですが、ぜひとも自分の「甘え」に気づいてほしいです。あなたが頑張っていることは、どうでもいいんですよ。「努力」それ自体が評価されるのは、子ども時代の話です。




他人を突き放す冷たい態度



もっと直感的にいって、「自己責任だ!」というのは、無責任で冷たい態度です。こうした態度を美徳だと感じる人はほとんどいないでしょう。

多くの人にとって美徳として目に映るのは、「世の中に自己責任などない。本来自分が取るべきではない責任についても、自分ごととして引き取っていくのが"大人"である」という態度でしょう。

自己責任というのは、結局「他人(ヒト)のせい」にするという態度なのです。自分は関係ない、と言い張る態度ですから。「他人のせい」にせず、「それはわたしにも責任がある」と進んで認めるような人こそ、本当の大人です。

自己責任を振りかざす人は、まるで「コップが勝手に割れたんだ!ぼくは悪くない!」と現実を認めようとしない駄々っ子のようです。大人は「コップを割ったのは君にも原因の一端があるけれど、そもそもそこに置いたわたしにも否がある。割れやすいコップを買ったことも、よくなかった。一緒に片付けて、どうすれば同じミスが減るか、一緒に考えよう」と語ります。





以上の流れを踏まえて、冒頭で引用したツイートに編集を加えると、

大阪の母子餓死を受けて「二人のように本当に困ってる人に生活保護を与えろ」という意見が散見される。だがもし、親子が死なないで生活保護を受けていたら、「(貧困状態に陥ったのはおまえの責任だ。子どもを無計画につくったのはおまえの判断だ。なぜ真面目に働いているおれたちがお前のような人間を救わなければいけないんだ。甘えるな、)働け」とあら探しされて「本当に困ってはいない人」として叩かれていただろう。日本で「本当に困ってる人」になるには、餓死か心中しかない。

なんて具合になるでしょう。結局ここにも、冷たい自己責任が垣間見えます。そうして、相も変わらず悲しい事件が起こるのです。




「生活保護は恥」というケチ臭い価値観—「社会的強者」とは誰か」というブログ記事にも書きましたが、これからはますます格差が広がり、「実は世の中が平等ではないこと」が明らかになっていきます。

そのとき、恵まれている人たちは、どう振る舞うのでしょうか。卑屈な「平等根性」に流されて「あいつらは怠け者だ!救う価値などない!努力せよ!」と語るのでしょうか。

ぼくは、そんな未来は嫌ですね。社会的強者は、もっと「大人」な振る舞いをしなければなりません。自己責任をつい振りかざしてしまう人は、その果てに何があるか、立ち止まって考えてみてください。