小鳥ピヨピヨのいちるさんがぼくのメソッドを解説してくれています。
小鳥メモメモ - イケダハヤトメソッドは気持ちがいい




罪人になれるか



僕が思う「イケダハヤトメソッド」とは、以下のようなものだ。

1.ふと考えが頭に浮かぶ

2.逡巡せず、頭に浮かんだ考えを一気に書く

3.ほとんど推敲せず、書いた文章をそのまま公開する


まさに!こうして整理されると自分のことがよく分かりますね。

セルフ解説になりますが、ぼくにとってブログは実験場みたいなもので、ほとんど「生」のテキストを吐き出しています。特に「オピニオン」コーナーは生ものですね。この実験場で反応が良かったものを、書籍や連載のコンテンツにしたり、講演・コンサルティングのネタにしたりしています。書籍・連載の方は、言わずもがなちゃんと推敲してますし、編集も校正もしております。





いちるさんの指摘で特に面白いのは、推敲と不安について。ぼくも初めての著書はビビりまくって、たくさん推敲してしまいました。このブログも、昔はかなり推敲してます。


逆に言うと、「推敲」という作業の一部には、不安の現れという一面があるのかもしれない。 こんなこと書いたら他の人に責められるのではないだろうか。だからこの表現は変えようか、この発言は削っとこうか、ここにこういう言い訳を一言書いておこうか、など。

イケダハヤトメソッドは、その不安から自分を解放する。

そして世界は、自分を生のままで受け入れてくれるはずだと信じる。そして思うがままに自由にキーボードをタイプし、公開ボタンを押す。


恐れなんてくだらないものなんです。ぼくはそのことを多くの人に分かってもらいたくて、ブログを書きつづけていますし、書籍でもそのようなことを主張しています。




実際、恐れを振り切った「生」の文章は、生命を切り出したかのような面白さがあります。

ぶっちゃけますと、オリジナルテキストシリーズをもって初めて、いちるさんの文章を面白いと感じました。大変失礼ですが、これまでは「無難で柔らかな個人日記サイト」という印象で、ぼくの琴線には特に触れるものではありませんでした。こういうのが好きな人もいるんだなぁ、という感じ(失礼な表現で申し訳ないです)。が、一連の記事で印象がガラッと変わりました(上から目線で申し訳ないです)。




ただし、イケダハヤトメソッドを用いれば、ほとんど必ず嫌われることになります。包み隠さず自分の本心が出てしまうということですから。言いたいことを言ったら、嫌われるのが世の常なのです。




少し言い換えれば、イケダハヤトメソッドは、誰かを傷つけるということでもあります。実際、ぼくのブログを読んで傷ついた人も多いのでしょう(いちるさんの一連の記事も、少なからず読者の神経を逆撫でしたはずです)。

ぼくはこの点に関しては、「本心を語ることで、誰かを傷つけるのは悪いことではない」と考えています。誰かを傷つけることを恐れていたら、自分の思いなんて吐き出せません。

そういう恐れに囚われているかぎりは、スライムの出来損ないのような、ぶよぶよした文章しか生産できません。それは面白くないですし、何より自分を偽ってます。




「誰かを傷つけたくない」という思いには、「(嫌われるのが怖いから)誰かを傷つけたくない」という前提が隠れていることを自覚すべきです。

その上で傷つけたくないのなら、本心を語らず、黙り込むのがよいのでしょう。繰り返しですが、ぼくは「本心を語ることで、誰かを傷つけるのは悪いことではない」と考えています。




詩的に言えば、もの書きはそれ自体不道徳で、罪を背負っているのです。いつも引用しておりますが、中島義道氏の書籍から。


もの書く人はそれだけで不正義である。(中略)もの書くということは、きれいごとをいうということである。あったかもしれないしなかったかもしれないようなことを、あったと強弁することである。いや、もっと正確にいうなら、自分は正しい、自分だけが正しいと主張することである。「私は間違っている」と書くことさえ、そう書く自分の「正義」を主張することによって、きれいごとなのである。もの書く人はそのことから決して逃れられぬのだ(高橋源一郎)。


自分が傲慢に下品になることを恐れているあいだ、自分を他人を傷つけることを恐れているあいだは、もの書きにはなれない。もの書きとはあえて自覚的に傲慢と下品とを選びとった人々なのです。








長くなりましたが、イケダハヤトメソッドとは、


1.ふと考えが頭に浮かぶ
2.逡巡せず、頭に浮かんだ考えを一気に書く
3.ほとんど推敲せず、書いた文章をそのまま公開する


というプロセスによって実行され、メンタル面では、

・嫌われることを恐れないこと
・自分の本心を裏切らないこと
・自分が不道徳であり、人を傷つけている罪人であることを自覚すること


の3つを意識するメソッドといえるでしょう。罪人になることを恐れている善人には、真似はできないはずです。




ぼくらは罪人ゆえに、不要に人を傷つけることを避けなければなりません。ぼくがやまもとさんの他罰性を問題視するのは、そんな意識があるからでもあります。というわけで、この後の対談をお楽しみください。

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