「イケダハヤトなんて炎上マーケティングじゃん」としばしば言われるので書いてみます。




炎上マーケティングか、善き炎上か




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こんな表を作ってみました。




演技性



まず、炎上マーケティングは「演技」です。自分の本心をそのまま出しているのではありません。「まぁ、俺、ホントはこんなこと全然思ってないけどね」と本心を偽るパターン、「ちょっと誇張してるけど、PV稼ぎたいからこのままでいくか」と本心を脚色するパターンがあります。

本心からの発言で炎上するのは、「善き炎上」です。嘘偽りない言葉を吐いた結果炎上したとすると、その人の発言は、本質的に「新しい」ということです。彼の発言の正しさは、時代を経て証明されます。

たとえばP2Pのカーシェアリング「CaFoRe」は2009年のリリース当初「誰がこんなの使うんだ」「信じられない」と炎上していましたが、今ではごく普通に受け入れられるものとなっています。制作者たちは本気で世に出したものが、あまりの新しさに大衆に理解されることなく、短期的に炎上してしまうということは往々にしてあります。




大衆への迎合



炎上マーケティングは賛否が巻き起こるのを狙ったものですから、一定層に迎合することが狙いとして含まれています。

たとえば「30代で家を買わないヤツは情報弱者だ」なんてタイトルで記事をつくると、これは高い確率で炎上するでしょう。多くの読者は「デタラメだ!」と憤慨する一方で、少なからず、「持ち家派」の読者はこの記事に共感を示すことでしょう。

そうして賃貸派・持家派の間で議論が紛糾し、トラフィックが爆発することになります。実にテクニカルですが、「30代で家を買わないヤツは情報弱者だ」という記事を書く人は、「持ち家派」に迎合し、それによってアクセスを稼いでいるわけです。

「善き炎上」は、こうした大衆への迎合を度外視しています。むしろ、それを恥ずべきこととすら考えています。




変化の結果



「炎上マーケティング」の目的はシンプルで、注目を獲得することです。それによって金銭的、精神的な利益を得ます。

「善き炎上」はあくまで「結果」としてもたらされます。何か新しい変化を起こそうと思った人が、強烈なバッシングに遭い注目される、という構造です。





宗教性



「炎上マーケティング」は、それを繰り返すと「狼少年」だと認識されます。「あー、またやってる」という具合です。

「善き炎上」は反社会性を持っているので、それは必然的に、ある種の宗教性を帯びていきます。超わかりやすくいえば、イエス・キリストは本心からの主張をして「炎上」した結果、当時の社会から処刑されたわけです。

大衆に迎合する「炎上マーケティング」は、宗教性を帯びるだけの力を持ちえません。そこには反社会性はないのです。あくまで社会の器のなかで、小火を起こすに留まります。




ぼくはしばしば炎上していますが、それはあくまで「本心を吐露した結果」にすぎません。結果的に炎上したこそあれ、はじめから炎上を狙ったことはありません。ゆえに、自己肯定的ではありますが、ぼくの場合は「善き炎上」の部類に入るでしょう。




それが「善き炎上」に当てはまるようなら、「炎上」を恐れる必要はありません。嘘をつかず、誠実さをもって生きたいものです。




関連本。強烈に好き嫌いが分かれる中島義道氏などは、「炎上系」ですが、本心の結果燃えているので、やはりこれも「善き炎上」だと思います。