昨日だらだらとツイートした話が、意外と多くの人に共感されるようなので、改めてまとめてみます。



立食パーティが苦手な理由




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仕事柄、しばしば100人規模の参加者が集う立食パーティに顔を出すことがあるのですが、打率的には8割以上の確率で、参加したことを後悔することになります。

偉い人の乾杯の挨拶が終わったらソッコーで料理の列に並び、端の方にスペースを確保し、むしゃむしゃゴクゴクと料理を楽しみ、話しかける勇気もないまま孤独感と満腹感と後悔にまみれて、帰路に着くというのが定番の流れです。




そもそも、ぼくはお互いのことをまったく知らない状態で、対面のコミュニケーションを取るのが苦手です。

「すみません、ぼく名刺持ってないんですが、えぇと、ブログを書いてます。」「そうなんですか。わたしはシステム系の会社で営業やってます」「そうなんですねー」「えぇ」「……」「……」みたいな。「いつもブログ読んでます」と話しかけてくれる人と話すのは苦ではないんですけどね。




また、大勢の中にいると、つまらない話や、賛同できない話も聞きつづけなくてはいけない場面に出くわします。

「わしが若い頃はな…」「うんうん(周囲の若者一同)」「若いうちはこうあるべきだ」「そうですねー、勉強になります(周囲の若者一同)」……(この場から早く立ち去りたいけど、タイミングがつかめない……)というシーン。

大勢の人のなかだと、賛同できない意見に出くわしても、その場で「いや、ぼくは違うと思いますけどね」とは言い出しにくいものです。何も言い出せなかった挙げ句、本心では時間の無駄だったと思っているのに、ニコニコと笑みをたたえて「ためになる話、ありがとうございました」と感謝してみたり。そうして自分の弱さを実感して、ビールをぐいと飲み干すのが通例です。




さらにいえば、知っている人に話しかけられるのも、「ぼくなんかと話してて時間もったいないだろうに…」と、相手の時間を気遣ってしまってダメですね。一対一ならゆっくり語りあえるのですが…。




というわけで、最近は立食パーティ的な会合には参加しないようにしています。付き合いが悪くて申し訳ありません。




誠実であろうとするから、コミュ障になる



ぼくのような、いわゆる「コミュ障」は、意外と一対一の対話は嫌いではないんですよね。ぼく自身も一対一で人と会うのは、ほとんど苦痛を感じません。参加者が増えれば増えるだけ、そのまま苦痛が増していきます。

なぜそうなるかというと、大勢の人が参加する場では、「自分を偽る」機会が増えるからなのでしょう。




会いたくもない人と話さなきゃいけなかったり、心にもない社交辞令を何度も口に出さなきゃいけなかったり、言いたいことが何も言えなかったり。「あなたの話はつまらないです」と面と向かって発言する勇気もないですし、そうしてまで人を傷つけるのも違うと思っている。

中島義道氏の指摘を借りるなら、ぼくのような「コミュ障」は、自分の内なる声に誠実であろうとする人たちのことを指すのでしょう。

真の人間嫌いは、他人の不誠実さに対する不快感と並んで、自分自身の不誠実さに対する不快感が表裏一体となっていなければならない。








「偉そうに誠実なんて言ってるが、単に精神的に未成熟なだけじゃないか」と言われそうな気もしますが、自分を偽ることに慣れてしまうのは、本当に成熟なのでしょうか。

本心に背き、ニコニコと欺瞞の微笑みを振りまき「素敵なお話ありがとうございました!」と心にもない発言をする。そんな自分の態度に、なんの疑問を抱かないような鈍感さを、ぼくは身につけたくはありません。むしろこれこそ、人間的成熟からは離れた態度だとすら思ってしまいます。

葛藤を感じつづけ、それでもあえてその道を行くというのならまだしも、「自分を鈍感にさせる努力をする」のは、どこか間違ってはいやしないでしょうか。





ぼくはコミュ障な人に「大人になれ!」と叫ぶよりも、そんな人でも生きやすい社会をつくりたいと、自分のためにも願います。

というわけで、立食パーティが苦手なみなさん、別にそれでいいんです。なるべく参加しないようにしましょう。どうしても参加するときは、「おいしいご飯とお酒を楽しみにきた」と割り切り、隅っこの方で食事を楽しみ、しれっと退席しましょう。それでいいと思います。





photo credit: Seattle Municipal Archives via photopin cc