これは凄まじい本ですね…!文系のぼくには計算式の部分はちんぷんかんぷんですが、激しく刺激を頂けました。こういう出会いがあるから、読書はやめられない!




複雑なまま生きる



・この複雑な世界を複雑なまま生きることは、いかにして可能か。本書はこの問題を対象としている。

・こうした世界の複雑さに向き合わずに、社会は責任者という仮構をつくりだして、原因となるビンゴのマスを探していく。世界を単純に理解しようとするのは、そうやってわかった振りをして胸をなでおろすためである。

・複雑な世界を複雑なまま受け入れることは、あまりにも難しい。それは人間には認知限界があるからである。もし人間がありとあらゆる膨大な情報を無制限に処理できるのであれば、複雑な世界を複雑なまま扱うことができるかもしれない。だが、脳という有限のリソースを使っている以上、認知能力には限界がある。

・認知コストや対策コストの問題から、私たちは複雑な世界を複雑なまま観ることができず、国境や責任や自由意志を生み出してしまう。逆にいえば、認知能力や対策能力が脳や技術の進化によって上がるにしたがって、単純化の必要性は薄れ、少しずつ世界を複雑なまま扱うことができるようになってくる。人類の文明の歴史とは、いわばそうした複雑化の歴史である。

・自由意志があるから責任を取るのではない。責任を追及することによって自由意志という幻想をお互いに強化しているのである。現代社会は、大きく政治的レベルからミクロで個人的なレベルのものまで、責任追及することによって自由意志という幻想を生み出してきた。だが、このトレンドは大きな曲がり角に差し掛かっている。人間を合理的で機械的な存在として他の動物と異なるものとしてみなすのではなく、感情的で身体的な動物の延長線としてやや特殊な能力を進化的に獲得しただけの存在にすぎないと次第に考えるようになってきた。

・フラットな社会ではあらゆる情報や機会へコンタクトする距離が万人にとってゼロになることになる。だがソーシャルネットワークは、むしろ人によってアクセスするための社会距離が異なる状態を意味している。この状況をより端的に表現する概念が「なめらか」である。

・近代国家は、土地や国民、法律などのさまざまな境界を、国家のもとに一元化させてきた。なめらかな社会では、それらがばらばらに組合わさった中間的な状態が許容されるようになる。


・そもそも"invididual"は、否定の接頭語の"in"と「分割できる」という意味の"dividual"が合体し、「これ以上分割できない」すなわち個人という意味になった。しかし、神経科学の知見にあるように、人間は本来分割可能であり、しかもかりそめにも個人として統合してきた規律社会のたがが、もはや外れようとしている。

・近代民主主義が前提としている個人という仮構が解き放たれ、いまや分人の時代がはじまろうとしている。人間の矛盾を許容してしまおう。そして、分人によって構成される新しい民主主義、分人民主主義(Divicracy0dividual democracy)を提唱することにしよう。


・このシステム(「伝搬委任投票システム」)では、自分の持つ1票を好きなように分割して投票できるようにする。もちろん矛盾した意見に0.6票と0.4票と分けて投票してもかまわない。悩んだら悩んだ度合いで投票すればいい。そのテーマに詳しい人は直接政策に投票すればいいし、そうでない人は詳しそうな人に委任すればいい。人に委任する気楽さが投票率をあげる要因になる。


・0.2票だけが日本人で、0.3票はフランス人で、0.5票は中国人といったことが可能になる。いずれは、そのような国籍による分配というメタファー自体が無意味になるかもしれない。

・経済と政治が複雑に絡んだ問題に、新しいガバナンスの解決策を生み出せはしないだろうか。今までの社会は公—私の二項対立の図式で問題の解決が行われてきた。今後、「共(コミュニティ)」のパラダイムがどこまで踏み込んでいけるかが課題である。

・代替的な政治システムを考える時に、教小津対やグローバルのことを視野にいれるとしても、個人の同一性を解体した分人まで検討することは、通常あまりないだろう。だが、個人の解体こそが肝なのである。個人の一貫性を強要する仕組みが存在していると、それを利用して共同体の固定化や国家の絶対化が実現してしまう。

・ときに家族は家族として感じられなくなったり、国を国として感じられなくなる。家族愛や愛国心も自明ではない。だが、責任を要求することによって、自己は統合され、自らを合理化して制御し、それを通じて組織や国家に尽くすことができるようになる。こうして、社会的責任を通して一貫した自己が生まれる。分人民主主義が否定するのはこうした自己の結晶化である。

・分人民主主義が大事にする規範と倫理は、身体から生じる自然な声や情動を重視し、個人の中、組織の中、国家の中の矛盾を理解し許容する文化である。他者の言動の矛盾をことさらにあげつらって指摘し、責任を追及することはない。組織や国の代表者が人によって異なる発言をしていても、一貫性がないと非難することはない。

・自由とは、与えられた選択肢の中から選択することが可能であることでは決してなく、複雑なまま生きることが可能であることをいう。複雑なまま生きることができれば選択肢は自然に生成する。新たに選択肢を生み出すことができる稼働領域の複雑性の広さ、それが自由なのである。

・契約の自動実行を可能にする物理環境を整備すれば、こうした状況が根底から覆される。そもそも官僚機構とは、法律というある種のプログラムによって書かれた内容を実行する存在である。その効率性や正確性は法律(契約)の自動実行によって飛躍的に向上する。法律の自動実行がもたらすのは、官僚制という自律的な執行機関を交換可能にすることである。



一見難解に見えますが、「複雑なまま生きることは可能か」という非常にクリアな問題意識に貫かれているので、論理の道筋に迷うことはありません。文系脳では理解できない部分については、己の未熟ということで諦めます笑




大げさではなく、人間社会の進化の方向性を示している、希有な一冊です。早くも今年のベスト10に入ること間違いなしの作品。値段は高めですが、その価値は存分にあります。