ぼくがものを書くときに気をつけているのは、「冷静なオレ」ならないことです。





冷静なオレって賢いよね?



何かの話題が巻き起こっているとき、自分を賢く見せるのって簡単なんですよね。

・ソーシャルメディアマーケティングが流行っているときに、「安易なソーシャルメディアの活用は予算の無駄遣いにつながる可能性がある」

・NAVERまとめが流行っているときに「安易な編集はパクりを容認する文化を生み出す可能性がある」

・「ノマド」が流行っているときに「ノマドは迷える若者を奈落の底に落とす可能性がある」


だったり。要するに、物事の負の部分をことさらに切り出し、その負の部分がもたらすかもしれない「可能性」について言及するわけです。

いかにも賢そうに見える語り口ですが、これは実は当たり前のことを言っているだけです。

新しい物事、話題になっている物事には、ほとんど必ず「負の側面」があります。その負の側面が暴走すれば、悪しき結果が残されることもあるでしょう。それは当たり前です。




ネガティブな可能性に言及するのは簡単なことです。

本当に難しいのは、よい部分を取り上げ、それがもたらす望ましい結果について、自信をもって語ることです。清濁合わせ飲んだうえで、清い部分を語るという行為です。




プラスの可能性について語ることは、他人から「バカ」だと思われるリスクを取ることです。予想が外れたときには、「あいつはあんなこと言っていたけど、結局失敗したぜ」と嘲笑されることになります。正の可能性について語るということは、そういう失敗、恥を覚悟で、行動するということです。

一方、負の可能性について言及する場合は、仮にそれが外れたとしても、「オレが懸念していた問題は起こらなかったようだ。よかったよかった」とひとり納得することができます。傲慢な人になると、「オレが反対意見を述べていたから、物事がうまくいったんだ」と確信してしまうからタチが悪い。無意識的にリスクを避けていることに、彼は生涯気付くことがないのでしょう。




ぼく自身も、アプリなんかを紹介するときに、つい「この画期的なアプリがうまくいくかはわかりませんが〜〜」と、さも賢げなフレーズを使ってしまいそうになります。「うまくいくかわからない」なんてことは当たり前なのに。

結局、そのアプリが失敗したときに、自分がダメージを喰らうのを避けるための「言い訳」なんですよね。これは不誠実な態度だと、ぼくは考えます。

そんな冷静さを持つぐらいなら、いっそプラスの可能性に狂喜乱舞し、「これは面白い!」と本気で語れる人間でいたいとぼくは思っています。




どうしても気になる部分があるのなら、それはこっそりメールや対面で伝えればいい話です。それか口をつぐむか。ぼくはダメ出しは必ず裏口でやるようにしています。

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つい「冷静なオレ」をアピールしたくなる態度は、「冷静なオレかっこいい病」と名付けることができるでしょう。ぼくもその一人ですが、人間というものは、ふとすると、ついこの方向に流れてしまいます。

というわけで、このブログでは、極力冷静にならずに文章を綴っていきます。ぼくが自分を賢く見せるために、ヘンに慎重な意見を発しているようでしたら、遠慮なく突っ込んでくださいませ。気をつけていても、やってしまうんですよね…。




関連本。ツッコミからボケへ。バカと思われてもいいじゃないか!と勇気を貰える一冊です。(ブックレビュー)。