機会があって法政大学、学習院大学、東洋大学の3カ所でゲストレクチャーをさせて頂きました。貴重な経験をさせて頂いたので、「大学の授業」について考えたことをまとめてみました。






「つまらない授業」は妥協の産物




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photo credit: deadoll via photo pin cc

僕自身も大学在学中に感じていたのですが、授業の中には「教授が淡々と教科書を読むだけ」の、明らかにつまらない授業って多々ありますよね。

在学中は「やる気のない教授が悪い!」とか偉そうに思っていたのですが、壇上に立ってみて、必ずしも非は「教授一人」にあるわけではないなぁ、と感じました。




少なくとも着任当初においては、講師は学生の積極的な参加を期待しています。そのための工夫や熱意も抱いているものです(「この学生たちを開眼させてやる!」)。

しかし多くの学生は、期待に反して「単位さえもらえればいい」という消極的な態度で授業に参加します。ゼミならまだしも、一般教養などは受講生のモチベーションは下がりがちです。偉そうに書いてますが、僕もそうでした。




寝ている学生、内職している学生を前にして、積極的なコミットを引き出そうと努力するのはメンタル的に辛いものがあります。

もしもコミットを引き出せたとしても、その学生たちは半期・一年で去っていきます。そもそも良い授業をしたところで、給料も変わりません。

いつしか講師は、生徒の意欲を引き出すことを諦め、「無駄な」エネルギーを使わない、テキストを朗読するだけの、無難な授業を行うようになります。講師は疲れず、学生は適度に頑張れば単位がもらえます。win-winの状態なんですね。




教授がマイクも持たずに大教室で教科書を淡々と朗読するような授業は、講師と生徒の妥協の産物といえるでしょう。やる気がない方がお互い適度にハッピー、というのは、なんとも悲しい状況だと思います。




文化をつくる



こうした問題の解決はそう簡単ではありません。ゲストレクチャーに招いてくださった西田亮介さんは「一つ面白い授業を作ったところで、現状は変わらないだろう」と語っていました。確かに、もっと問題は根深いように感じます。




こうした課題について、西田さんは「なぜ日本で「白熱教室」が難しいのか?」という記事の中で、「初年度教育」の改善を提案しています。

漠然と最近思うのは同調圧力の高さといった「日本人らしさ」を活かして、初年度教育に、通過儀礼的な要素を入れるということだ。大学に入ったら、それまで習ってきた横並びの「正解」を出すことではなく(というか、それらを捨てて)、正解がない問題に対して、級友たちと議論し、試行錯誤することに意味があること、そのために感想と意見を表明することが第一歩なのだ、ということを経験的に理解するような場を作ったらどうだろう。


少しパラフレーズさせて頂けば、(初年度教育などの手段を通して)「文化をつくる」という言葉でも表現できると思います。

「文化をつくる」という観点では、例えば、入学時点で学力以外のスクリーニングを掛ける、というのも一つの解になると考えます(実現は難しいかも知れませんが…)。企業経営でホットになっている「社内文化をどうつくるか」という議論は参考になりそうです。




放っておくと「頑張るのってかっこ悪い」みたいな空気が流れがちな日本社会ですが、西田さんの指摘するように、その同調圧力をよりポジティブな方向に発揮させることは可能だと思います。

「つまらない授業」は、学生や教授といった個々人の問題というよりは、より大きな「仕組み」の問題といえるでしょう。「学生も教授もテキトーがwin-win」という状態は、何か間違っているように思われるので、改善されていくのが望ましいでしょう。

皆さんはどういった改善案を思いつきますか?ぜひコメント欄やフェイスブック、ツイッターで教えてください。




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