[「イケハヤブログ塾」のメンバーから寄稿を集める取り組みを始めました。第一弾は「私の移住論」。先日トヨタを辞めて高知に飛び込んだpskさんが、記事を提供してくださいました。大企業を辞めて思い切って移住、そのストーリーをお楽しみください。]


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言い訳して、諦めて、逃げてきたけど、ようやく自分の人生に対する「当事者意識」を手に入れることができました。

トヨタ自動車田原工場のベッドタウンで育った幼少期

ぼくの父はトヨタ自動車田原工場の立ち上げメンバーとして、本社地区である愛知県豊田市からぼくの母と、渥美半島の付け根にある愛知県豊橋市の社宅に引っ越してきたんですけどね。

20棟も社宅が並んでいるその地域は、小学校の児童数がピーク時は1000人もいたほどでした。

まさにベッドタウンといえるその光景はぼくの原風景。

とても豊かで、平和な町だったと記憶しています。

小学校での社会見学はもちろんそのトヨタ自動車の田原工場。

引率の先生が「将来ここで働きたい人!」って言った時に元気よく「はい!」ってぼくは答えました。

躾は比較的厳しかったような気もしますけど、ぼくと2人の妹たちの兄妹3人は基本的に何不自由なく育ててもらえたと思っています。

それだけは間違いないですね。

そして、長男である自分は当たり前のようにこの地元で生涯を過ごすと思っていたんですよ。

音楽の仕事をする夢を追いかけたが挫折

転機がおとずれたのは90年代後半、14歳のころでした。

今から考えると異常ともいえる音楽ブームの熱気にあてられ、ぼくはバンド活動を始めたんですけどね。

そうそう、厳しかった両親が一度だけぼくのワガママを聞いて買ってくれた楽器たちは今でも宝物です。

それらは十数年後の移住先に持ってきたほどで、とにかく自分の中の深い部分に音楽があるわけでして。

そして高校生になったらアルバイトをして買ったPCと機材でDTMにハマったんですよ。

夜な夜な作曲をしては、昼間は学校で寝る、というダメ学生でしたね~。

その後は名古屋にある音響技術の専門学校を卒業し、OBとのコネから名古屋市内の音楽事務所と契約。

静岡県の楽器製造メーカーで電子楽器開発の仕事に携わることになりました。

そのころからブログを書き始めたんですけど、まさか10年後に移住のきっかけとなるとはまったく想像していなかっです。

なんとなく、好きで長年続けていたことがこうして未来に繋がるとは、人生ほんとうにわからないとつくづく思いましたね。

話は戻りまして、その音楽事務所からもらっていた仕事は、実力不足から先輩からのイジメ、パワハラが始まり、たった1年で挫折し退職してしまったんですよ。

夢を追うことは素晴らしい!って教えられてきたはずなのに、現実とのギャップになんだか騙されたような感情に包まれていたことを覚えています。

仕事にしてしまうと、音楽がキライになりそうで、それだけはイヤだったんです。

キライになってでもそれを仕事にする、という覚悟がなかったとも言えます。

せっかく掴みかけた夢だったけど、自分の中にあるもののほうが大切だったんですよ。

だから、音楽の道は諦めて実家に帰りました。

トヨタ自動車田原工場の登用社員に、しかし恋人にこっぴどく振られる

実家に帰った後は、ふらりと入った遊技場で勝ってしまったことをきっかけに、それから長い間ギャンブルに依存してしまったんです。

依存症に苦しみながら、友人のすすめでトヨタ自動車田原工場の期間従業員として再スタートしてみたんですけどね。

っていうのは表向きで、ギャンブル代を稼ぐために働きはじめたようなものでした。

ところが、何の間違いか登用試験を受けたところ合格、正社員に。

そう、その時はリーマンショックの寸前。

ちょっとしたバブルの時期だったので大量に採用していたタイミングだったのです。

でも、新入社員研修の感想を「面白かったです!」と伝えたら上司から「なんだそれは!仕事とはそういうものではない!」と怒られたんですよ。

正直この時点でフッと「辞めよう」という思いが脳裏をかすめたんですけど、せっかく手に入れた肩書にすがりついてしいました。

思えば、自分の中の違和感をいくつも放置してしまったのがよくなかったですね。

まさか、数年後の自分に鬱病と不眠症の症状があらわれるなんてまったく思っていなかったから。

違和感をかかえたまま、大企業の肩書にすがりついていたぼくは、正社員として1年目の夏、恋人にこっぴどく振られてしまいました。

今思えば、ぼくの行動一つ一つに気持ちがこもっていないことに、覚悟がないことがバレていたんだと思います。

彼女が放った去り際の言葉は「あなたの人生はつまらない」だったんですよ。

それは再スタートして「大企業の正社員」という肩書を手に入れ、一定の成功をしたはずのぼくの人生を根底から揺るがす言葉でした。

傷心のまま休みの日はとにかく旅行した

その後、ぼくはひたすら旅をしました。

というより、25歳にしてちょっとグレたような感じでしたね~。

でも、アウトローコスプレイヤーといった可愛いレベルでして。

ちょっとだけワルそーなバイクを買ったんですよ。

そのバイクに荷物を満載して、北は北海道、南は九州へと傷心旅行をしたり。

飛行機で沖縄や海外にも足を運び、現地でバイクをレンタルして走ったり。

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旅に夢中になっていたから、稼ぎのほとんどをそちらにつぎこんでいました。

手元にあまりお金は残らなかったんですけど、気がついたらギャンブル依存症から脱出していたんですよね。

あれだけ依存して、苦しんでいたものをあっさり辞めれたことにビックリしました。

その経験から「環境が人を変える」ということに確信を持っています。

とにかく、旅をすればするほど自分が変わっていくことに快感を覚え、毎月のように出かけたんです。

そんな中で唯一「ここに住みたい!」と強く思ったのが高知県でした。

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世の中にはいろんな価値観や生き方があることを身を持って知る

高知県は、90年代まで高速道路が整備されてなかった影響もあってか、いわゆる「大企業」というものが1つも存在しないんです。

それもあってか、大企業だらけの愛知県とは価値観が真逆に感じたんですよね。

たとえば、「愛知ではトヨタ社員ってだけで結婚の理由になる」と高知の人に説明したときに「こっちはそんなことじゃ結婚を決めやしないよ」ってスパッと切られてビックリしました。

ぼくは目からうろこが落ちたような思いでした。

そして、旅行先で出会った人たちはそんな大層な肩書を持ってない人が大半だったんですよ。

自分の環境が大多数だと根拠もなく思い込んでいたけど、実は少数派だったんじゃないか?

物事の良し悪しなんてものは、どこで、だれが、なにをしているかでひっくり返るんじゃないか?

旅の中で、自分の中の違和感の存在を身を持って知ることになったんですよね。

最後の3年間は飲み会を全て断り続けた

こうなってくるともうダメでした。

心に溜め込んだ違和感は、ダムが決壊したかのように行動へとつながったんです。

仕事はしましたけど、インフォーマルな行事という行事をすべて断りました。

飲み会に行けば、自分の立ち位置を守るためにひたすら説教をする人もいまだに多いんですよね。

だから最後の3年間は職場の飲み会すらただひたすらに断り続けました。

そして仕事中でも、理不尽に怒られた時には、相手が誰だろうが、まわりで誰が見ていようが徹底的に言い返すようになってしまいました。

組織の人間としては完全に失格だったと思います。

でも隠しきれなかったんです。抑えきれなかったんです。

物事の本質より、上から「怒られる」からこれはダメだ!と真顔で怒る上司や先輩に何度もゾッとしました。

怒られるから怒る。負の連鎖。保守的の象徴のような人が、ほんとうにたくさんいたんです。

ほんとうの意味での安定なんてどこにもない

その人たちに染み付いているのは、とにかく「失敗しないように」でした。

失敗する前から失敗すると決めつけている、という感じ。

それでは最初から失敗が決まっているようなものだと思いました。

リーマン・ショックや3.11を社内で予測して動いていた人が皆無だったように、未来なんて十中八九読めないんです。

さらに、有事の際は、急激な生産変動による影響で多残業になることが多くてですね。

おのずと病気や交通事故、離婚などの家庭問題が増えてたんですよ。

そのような高負荷は今まで何度でも繰り返してまして。

直近の出来事でいえば、社内初の外国人女性役員の逮捕で生産変動が発生する可能性が高いですね。

というか、ギリシャ・ショックでリーマン・ショックの再来の可能性さえ0ではないんです。

だから、ほんとうの意味での安定なんてどこにもない。これは断言できます。

そして、現場に高い負荷がかかることは毎度のことでして。

そんな環境で、先輩方は何人も鬱病になり、休職、または退職していったんですよ。

その人たちを見て、「鬱病になったら終わりだ」と吐き捨てる他の社員もいました。

ぼくは中途採用者で、一度挫折を経験していたから、そうは思いませんでした。

そして「自分が病気なんてしない思い込んでいる」人たちがあまりに多いと思いました。

「今まで健康だったこと」と「これから病気になること」は別問題です。

明日死ぬかもしれないことだけが、どうしようもない事実なんですよ。

お金も大切だけど、同じように大切なものが他にもたくさんあります。

さらに、IT革命が起きたこの21世紀は間違いなく自動運転が常識になりますよね。

クルマを「買う」から「シェア」する時代に変わると予測されています。

そうしたら自動車業界の勢力図は一気に変わる可能性が高い。

トヨタがトップでいられる保証なんてまったくないんです。

それなのに、自らの意思で、会社の外に出て挑戦しようとしている人なんて、誰一人もひとりもいませんでした。

もっとラフに、転職が当たり前になるべきなのに、です。

まさに大企業病で、仕事は誰かが用意してくれるものだと、誰もが思い込んでいました。

その保守性は、仕事以外のレベルでも刻まれていて、友人関係や血縁関係にも上下を作ろうとする人があまりにも多かったんですよね。

そう、ぼくはそんな環境に窒息死しそうだったんです。

夜勤に対応できなくなり不眠症になる

夜勤があると収入は1.5倍ぐらいになるんですけどね。

全体の3割強が夜勤関連の手当だったりするんですよ。

30代の平社員でも、子供3人とマイカーとマイホームも持つことができるレベルでして。

でも、ぼくはその1週間ごとの昼夜交代勤務を繰り返すうちに眠れなくなってしまいました。

寝不足すぎて食事が喉を通らず、脱水症状を起こし仕事中に倒れたことも。

さらに、最後の数ヶ月は会社のゲートを見ただけで涙とめまいと吐き気の症状がでるように…。

カードリーダーを通してゲートを解錠することを何度ためらい、Uターンして返ろうと思ったことか。

とにかく、単純にこのまま続けていたら死ぬ、と思ったんです。

というか、何度も「死にたい」と思うようになっていたんですよ。

逆に、寝不足で事故を起こして誰かの命を奪いかねない、とも思いました。

そして、数年前に工場内で首吊り自殺があったとき、半日しか仕事が止まらなかったことを思い出しました。

人の命に値段をつけられてしまったような気がして、心底寒気がしたんですよ。

だからいま、元職場で働き続けている人たちはぼくからしたら超人にしかみえないんですよね。

間違いなく選ばれた人たちだと思います。

それほど、その一つの仕事を続けるには才能と覚悟が必要です。

つまり、ぼくには会社員を続ける才能も覚悟もなかったということですね。

何もかもから逃げ出すように移住

手続きして傷病手当金を貰えば、という意見もあったと思います。

でも、ぼくからしたらその環境から逃げ出さない「死ぬ」と、という考えしかなかったんですよ。

もはや、まともな思考が出来る状態ではなかったんです。

必要最低限の人にしか会いたくなくて、最後の挨拶は一切できませんでした。

いなくなったことに気がついた人からかかってきた電話も、一度も出れませんでした。

ぼくの行動に対して、思いのたけを綴ったメッセージを1日中送ってきた人もいましたが、ブロックしました。

なかには、ぼくを夢追い人として賞賛する人もいましたが、それは違います。

頑張りたくないことを、頑張らないために逃げ出す。

やりたいことを、やるためだけに逃げ出す。

そう、ぼくはまたしても言い訳して、諦めて、逃げ出したんです。

助けを呼ぶ力と諦める力

一気に人は変われないんですよ。

でも、少しずつ少しずつ確実に変化を感じています。

今回の移住に関して、何者でもない、誰も知らない、誰にも相手にされないようなぼくを助けてくれる人たちがたくさんいました。

それは圧倒的な肯定感でした。

「こんな自分でも生きていていいんだ」と思えたんです。

迷惑をかけちゃいけないと思い込んでいたけど、今なら「スイマセン!」って言いながら助けを呼ぶことができます。

会社員であることを諦めてよかったと思いました。

諦めていなかったら i can fly をしていた可能性が高かったです。

古いプライドを故郷に置いてきたから、ぼくは助けを呼ぶ力と、諦める力を身につけたといえます。

そう、ぼくが逃げ出したのは、あくまで生存戦略だったんですよ。

自分が選んだ道だという感覚

今から思えば自分の人生が他人ごとでした。

当たり前ですが、自分の人生は自分の人生です。

ようやく「当事者意識」を持って、自分の人生を他人の価値観から取り戻したという感じ。

なんというか、最初は自分の力でなにもかもやっていると思っていたんですよね。

でも、それは死ぬほど苦しかったんです。

「自分は弱い人間だ」とオープンにしたら本当に楽になりました。

そして恥をかくことを恐れず、助けを呼ぶということを覚えました。

そう、ぼくは「自分の力で生きている」という考えじゃなくて「いろんな人の助けで生かされている」と思う道を選んだんです。

矛盾しているようにも聞こえるけど、言い訳して、諦めて、逃げてこなかったら、この「自分が選んだ道」という感覚は手に入れることはできなかったなぁって思いました。

覚悟とは自分の人生に対する「当事者意識」だ

今回の移住で、生きていく上で一番大切なもの手に入れることができました。

それは「当事者意識」という名の覚悟です。

自分の人生は自分が決めるんです。

誰かが幸せにしてくれるのではないのです。

そして誰かに不幸にされるでもないのです。

思えば、最初に音楽の道を目指したのもブームがあったからだし、大企業の正社員になったのも世の中が賞賛していたからでした。

でも実際にそうなってみて、幸せとは程遠かったんですよね。

原因は、自分の人生に「当事者意識」を持っていなかったからに他ならないと思います。

誰かの幸せが、自分にとっての幸せとは限らないのに、価値観を外に預けてしまっていたから。

ぼくとしては、移住の記録をwebで発信し続ける目的は「後に続く人に道を作りたい」という思いがあります。

ですので、ハッキリといいますね。

「当事者意識」を強く持っていないと、間違いなく「こんなはずじゃなかった!」と思う時に壁を乗り越えられなくなります。

逆に、それさえ持っていればどんな場所でも生きていけます。

また、失敗してもまたやり直せばいいさと思えます。

だって、幾多の景色の中から自分が選んだ人生なんだから。

だからぼくは、レールから外れた人間の生存報告をこれからも書き続けていきますよ。

こんなんですけど、今日もぼくは生きています。


Posted by PSK(http://psk.blog.jp/


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というわけで、pskさんのストーリーでございました。ぼくの場合は「キャリアアップ」的な側面が強かったのですが、pskさんのように、苦しい環境から「逃げ出す」という移住のあり方も大いに「あり」だと思っています。


余談ですが、pskさんには謝らなくてはいけないことがあって、会社を辞める直前に「頑張って」とツイートしちゃったんですよね。「あと3日」って書いてたからつい…。

危機的な状況だったとは知らず、すぐに訂正しました笑 無事に高知までたどり着いてよかった!こっちで色々仕掛けていきましょう。



東京から高知県に移住したよ!

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