少し前に、ヒビノケイコさんが「そろそろ「地域課題を解決する」という思い込みから抜け出そう。妄想から始まる「世界観の表現」へ」という記事を書いていました。


「表現」という発想

まち作り合宿の講師の方が仰っていた言葉で印象的だったのが、

「そろそろ、地域課題を解決する」という思い込みから抜け出したほうがいい」ということ。

私、このときすごくはっとしました。

自分の地域で実践したり全国の地域を見ている中で、

「解決する」発想から→「表現する」発想へ切り替わる大切さを感じていたからです

そろそろ「地域課題を解決する」という思い込みから抜け出そう。妄想から始まる「世界観の表現」へ

上記はまちづくりにおける話ですが、これは個人についても同じですよね。


えてして、若い人は「成長」しようとします。もっと優れたスキルを。もっと多くの資格を。もっと高い年収を。もっと有益な人脈を。

どうなんでしょう。成長を単なる趣味として楽しめているうちはいいですが、これが「成長しなくなったらダメ」という価値観になってしまうと、すぐに苦しくなってきます。「成長」には終わりがありませんし、他者と「比較」することからも抜け出すことができません。

ぼくも成長するのが好きで、ブログのアクセスとか収益が伸びていくと快感なんですが、最近は「成長」よりも、「表現」を重視するようになりました。自分を、世界を、もっとこの手で表現してやろうじゃないか、と。成長よりも表現の方が楽しいですね。


「表現する」ことを、多くの人は忘れています。TOEICの対策はできても、みなさん自己表現はできません。とてももったいないことだと思います。たまに死にたくなりますが、表現を始めると、「自分の人生を生きている」感じが明瞭になりますから。

表現の手段はなんでもいいんです。ブログでも絵画でもクラフトでも人前で話すことでも、それこそビジネスだって自己表現になります。人によっては「TOEICの対策」が自己表現かもしれません。何をもって表現とするかは、他者が決めるものではなく、自分で判断するものです。


皮肉なことに、「成長」を捨てて「表現」を始めたとき、人は成長してしまうものです。うちもなんだかんだで、表現を重視するようになってからアクセスが増えました。表現というのは、この社会において希少なのでしょう。希少なものには、人が集まります。資本主義が「自己表現」を求めている、ということもできるでしょう。

しかしながら、本来的に、表現と成長は切り離して考えるべきです。そこをつなげてしまうと、表現からオリジナリティがそぎ落とされます。二流に堕します。成長は、あくまで結果的に落ちてくるかもしれない、程度のものです。


本来すばらしい表現ができるはずなのに、なぜかTOEIC対策に明け暮れている人が、たくさんいるんですよね。もっと、あなたにはオリジナルな体験があるじゃないですか。今、まさに抱いているその思いを、表現として昇華しましょうよ。

表現は、今すぐにできるものです。何歳であっても、どんな経験をしていても、生きている以上、すばらしい表現をするポテンシャルは誰もが持っています。これが、「成長」にはない「表現」の面白さなんです。