ブログ論を書いてみます。


ブログとは自己洗脳である

先日、とあるワークショップで「幸せな働き方の定義」を考える機会がありました。


「幸せな働き方の定義」。色々な定義がありえるのは前提ですね。では、どのようにしてその個々人の定義が決まるかというと、ぼくは「その人がどのように、それを『記述』するのか」で決まると考えています。

たとえばぼくにとって「幸せな働き方の定義」は、「嫌なことをせずに済んで、家族との時間もちゃんと取れて、時間を忘れて没頭できる働き方」なんて感じに「記述」できます。

で、これはぼくの「自己洗脳」でもあるんですよ。ぼくはこのようにして自分の幸せについて記述する「から」、そういうことに幸せを感じる人間「に」なっていくんです。

わかりますか。こういうものは、記述することが先にあるんです。自分は、自分自身を「どのように書くか」で決まっていくんです。特に「幸せな働き方とは何か」みたいな曖昧で個別的なものに関しては、語れば語るほど「そういうもの」になっていきます。


ワークショップでいただいた質問のなかに「イケダさんはなぜそんなに自信満々なんですか?」という笑えるクエスチョンがあったのですが、それはぼくが、こうして自分について記述することを繰り返しているからなのでしょう。

毎日のように自分について書いていけば、良くも悪くも、自分というものは堅くなっていきます。ブログというのは、自己洗脳の繰り返しです。


「はじめに言葉ありき」とはよく言ったもので、ぼくらは語る言葉によって、自分を語られたように作り替えることができます。この順番は基本的に逆ではないと思うんですね。それこそ遺伝子レベルで変えられない側面というものもありますが、人生の大半は「どのようにして自分を記述するか」で変わると思います。


自分が何をやりたいかわからない、何が幸せかわからないと悩む人は、舞台に立った気分になって、自分についてブログで記述してみるのをおすすめします。これは自分だけに閉じた日記ではなく、インターネット上に公開されたブログがベターです。見られることを意識することで、記述する内容も深く、社会的になっていくものですから。


ぼくが名指しの他者批判をネットで書くのをおすすめしないのは、あなたは、記述したようになるからです。攻撃的な、侮蔑的な記述をすれば、あなたはリアルな社会でも、そういう人間になっていきます。

内田樹先生の言葉を借りれば、それは「呪い」としてあなたにまとわりつくでしょう。呪縛を解除するためには、他者を祝福するしかありません。

「呪い」は今や僕たちの社会では批評的な言葉使いをするときの公用語になりつつあります。「弱者」たちは救済を求めて呪いの言葉を吐き、「被害者」たちは償いを求めて呪いの言葉を吐き、「正義の人」たちは公正な社会の実現を求めて呪いの言葉を吐く。けれども、彼らはそれらの言葉が他者のみならず、おのれ自身へ向かう呪いとしても機能していることにあまりに無自覚のように思われます。


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