ちきりんさんの第一作目。文庫版が出ていたのでポチッと購入。ブログのまとめ本ではありますが、未読の記事も多かったので普通に楽しかったです。読書メモを残しておきます。


ゆるく考えよう

・自分がラクで楽しく感じられることをやって生きるのは、甘えでも逃げでもなく、むしろそれこそが正しい道のはずなのです。

・日本には「良薬口に苦し」ということわざがあり、まるで「つらいこと=価値があること」のようにいいたがる人がいます。けれど、論理的に考えれば一番いいのは「楽しくて、ラクで、価値があること」であり、まずはそれを目指すべきではないでしょうか。

・私は、日本人は他の国の人より全体的に「諦めるのが遅いのではないか?」と感じています。そしてそれが不幸の元だと思っています。多くの人は、もっと早めにいろいろ諦めた方が楽に生きられるはずです。

・「すべての人に同じだけのチャンスがある」などと思い込み、諦めずにずっと必死で働き続けることが「不幸の元」なのです。諦めていないと、人は頑張りますから。無駄なのに……。

・ニートをやたらと問題視する考えもどうかと思います。誰にも迷惑をかけていないなら、全く有意義なことをしない人生も選択しとして認められるべきでしょう。「有意義に行きたい人」は、自分だけ有意義に生きてください。

・私は最近「外から押しつけられる過剰な欲望を排して、自分のピュアな欲望を取り戻したい」と強く思うようになりました。

・欧米では「変化させる人」こそリーダーですが、日本では「できるだけ混乱を起こさないことがトップの務め」です。こうして日本は「誰も終わりを決められない国」になってしまっています。

・多くの学生は就職のとき「会った人がすばらしい人だった」などという、ほとんど意味のない理由で会社を選びます。そんな適当な理由で入った会社でも、やめるとなるとやたらと悩むのです。

・「生物としてのサイクル」や「感情や心」に関わるようなことに関しては、人生の先輩がいうことをよく聞いておけば後からきっと役に立つはずです。

・「お金を払うより、お金を稼ぐほうが学べるし成長できる」というのは一般的な法則です。

・「貧乏な家ほどモノが多い」そんな時代がやってくるかもしれません。

・「できるだけ勝ちやすい職場を選んで就職する」というのは、逃げでもなんでもなく、ひとつのまっとうな戦略です。「友達から「すげ〜」と驚かれるような人気企業」に入るより、「なぜ、そんなところに行くの?」といわれるような企業に入った方が、自分が鶏口(チップ)になれるチャンスは相当高くなります。

・履歴書に輝かしい学歴や資格を書き連ねて、「僕はこれだけインプットしました!」とアピールする人がいますが、問われているのは「そのインプットで、どんなアウトプットをだせる(だした)の?」という点です。大事なことは、インプットではなく「アウトプットにつながるインプット」なのです。

・本当は人脈が多いことより、本人が魅力的であるほうがよほど意味があるはずです。魅力的な人の周りには自然に人が集まるので、人脈なんて簡単につくれるからです。

・人間の悩みの大半は、本人の心の中に答えがあります。相談された人の役目はそれを「ほら、そこに答えがあるでしょう?」と指し示すことであって、相談者が想像もしていないミラクルな回答を説くことではありません。

・「世の中にはコミュニケーション成立比率が低く、普通に話していてはわかりあえない人がいる」と開き直ってしまえば、むしろ楽になります。(中略)「人間同士、話せばわかりあえる」と思うからつらいのであって、「話の通じない人も一定比率でいる」と諦めれば、考えようによっては「今日は3割も話が通じた!」と喜べるかもしれません。

・総中流社会には「分」という概念がありません。みんな同じ「分」だから、特定のものが手に入るか入らないかは資金力だけの問題だと理解されます。

・母は「大事な仕事に寝過ごしたら、神様にありがとうといいなさい」とよくいっていました。「大事な仕事なのに起きられないくらい体が疲れているときに、無理矢理起きなくてよかった。そこで寝られたから、命と健康が守られたのよ」というのです。

・グズグズと駄々をこねる私に父は「やりたいことは、自分で稼ぐようになってからやれ」とよくいっていました。そのたびに、早く自立したいと強く思いました。高校生のちきりんにとって、経済力は「自由へのパスポート」だったのです。

・多くの場合、本当に自由に生きている人は、「火宅の人」であったり、「破綻した人格」といわれていたり、のたれ死にに近い形で人生を終えていたりします。もちろん、そうなりたいといっているわけではありません。しかし、そうやって生きた人たちがおそらく経験したであろう「精神の自由」というものがあまりにもまばゆく、尊く、貴重なものに思え、そういうものを一度も体験しないまま人生が終わってしまうと想像すると一種の焦燥感に襲われるのです。自由に生きないことと引き換えに、私は「それなりの人生」を手に入れました。それでも、一生に一度も自由に生きられないというのなら、私が私に生まれてきた意味はどこにあるのでしょう?

・ちきりん家には「よかった確認」という習慣があります。どんなに絶望的に思えることでも、その中になんらかの意義を見いだし、「よかったね」と確認するというもので、私の母はこれの天才です。道に迷ったときに「ダイエットになってよかったね」というくらいは序の口で、誰かが飲み物をこぼすと、床を拭いた後「汚れていた床の掃除ができてよかった」といいます。旅行先が空いていれば「混雑がなくて疲れなくてよかった」、混んでいれば「活気があって楽しかった」、病気をすれば「健康のありがたさがわかってよかった」となります。

・物事にはよい面と悪い面があるのです。どうせならよい面をより多く見て生きていけば楽しく暮らせます。わざわざ悲観的に考える必要など、どこにもないのです。

うーん…こうやって書き残してみると、めっちゃいい本ですね、これ。若いうちに読んでおくと価値観が変わりそう。いくつか切り出してブログ記事にたので、こちらもぜひ。

 


「それなりの人生」を生きていないか?新年に噛み締めたい「ちきりん」の言葉 : イケハヤ書店
2014年から取り入れたい!ちきりんに学ぶ「よかった確認」という習慣 : イケハヤ書店